丼ものや麺類が続く日でも、簡単な工夫で栄養バランスを整え、罪悪感をなくした体験についてまとめました。
パートから帰宅して、キッチンに立つ。その瞬間、どっと疲れが押し寄せてくる日があります。
時計はもう夕方。子供たちの「お腹すいたー!」という声がリビングから響いてくる。
頭の中では「ちゃんと作らないと」と思うのに、体は鉛のように重い…。
結局、冷凍庫のうどんを茹でるか、レトルトの丼ものを温めるしか、私には選択肢が残されていないような気がしました。
食卓に並ぶ、茶色いどんぶり飯。野菜は…ない。
「ごめんね」と心の中で謝りながら、それを「美味しい!」と無邪気に頬張る子供たちを見ていると、胸がぎゅっと締め付けられる。
そんな毎日が、本当に辛いものでした。
炭水化物の罪悪感から、私を救ってくれた一つの気づき
以前の私は、まさに「ちゃんと作れない自分」を責め続けていたんです。
夫は家事や育児に協力的とは言えず、平日の食事の準備は、ほぼ私一人の仕事。パートと育児で一日が終わると、もう気力はゼロ。
理想は、温かいご飯と、具だくさんのお味噌汁、主菜と副菜が並ぶ「一汁三菜」。
でも現実は、パスタだけ、丼ものだけ。炭水化物に偏った食事が続くことへの罪悪感は、日増しに強くなるばかりでした。
- 「このままじゃ、子供たちの栄養が偏ってしまう」
- 「楽をしていると思われるかもしれない」
そんな焦りと不安が、いつも頭の片隅にありました。
栄養不足のせいか、私自身もイライラしやすくなっていたような気もします。
この罪悪感の沼から抜け出せたのは、ある日「完璧を目指すから苦しいんだ」という、とても単純な事実に気づいたからなのです。
私がまず調べたのは、「健康的な食事」の基本でした。
厚生労働省のサイトなどを見ると、やはり「主食・主菜・副菜をそろえる」ことや、「1日の野菜摂取目標量は350g」といったことが推奨されていました。
[参考]厚生労働省「栄養・食生活」
「やっぱり、今のままじゃダメだ…」と落ち込みかけた時、ふと思ったのです。
「一汁三菜」という「型」にこだわるから苦しいんだと。
一皿で野菜もたんぱく質も摂れていれば、それでもいいんじゃないかと。
私が「丼ものOK」を出せるようになった、3つの小さな工夫
一汁三菜という「型」にこだわるのを、まずはやめてみました。
そして、丼ものや麺類を「ベース」として捉え、そこに足りない栄養素を「ちょい足し」していく、という考え方に切り替えたわけです。
1. 困った時の「具だくさん冷凍みそ汁」
まず決めたのは、「丼もの・麺類の日こそ、汁物を添える」ことでした。
汁物なら、野菜や海藻類をまとめて摂りやすいと思ったからです。
とはいえ、毎回イチから作るのは大変です。そこで、休日にまとめて「冷凍みそ汁の具」を作っておくことにしました。
私が常備している「冷凍みそ汁の具」セット
- カットしたキノコ類(しめじ、えのき)
- 油揚げ
- 冷凍ほうれん草や小松菜
- わかめ(乾燥のまま一緒に入れます)
これらをフリーザーバッグに入れて冷凍しておくだけ。
平日は、これをお椀に入れて、お湯と(顆粒だし少々と)味噌を溶くだけです。
たったこれだけでも、野菜ときのこ、海藻類が摂れる。この一杯があるだけで、「野菜ゼロ」という最悪の事態は避けられる。
それが、私にとって大きな心の支えになりました。
2. 包丁いらずの「最強たんぱく質・野菜」
次に意識したのは、不足しがちな「たんぱく質」と、もう一声の「野菜」です。
ここでのルールは、「絶対に包丁とまな板を使わない」こと。
洗い物を一つでも減らしたい、その一心でした。
たんぱく質要員(低脂質を意識)
- 丼ぶりに、しらすや鰹節をかける
- うどんに、温泉卵やちくわ、カニカマを乗せる
- 納豆や豆腐(冷奴)をそのまま出す
- ツナやサバの水煮缶を常備しておく
野菜要員(包丁いらず)
- ミニトマトを洗って添える
- 冷凍ブロッコリーや枝豆をレンジで温める
- 市販のカット野菜(千切りキャベツなど)を袋から出す
これらは「料理」と呼べるものではないかもしれません。
でも、パスタの横にミニトマトが3個あるだけで、食卓の彩りも、私の気持ちも、まったく違ってくるのです。
3. 「3日間」で帳尻を合わせるマインドセット
そして、何より効果があったのが「1食ごと」ではなく「3日間」で栄養バランスを考えるようにしたことです。
- 今日はパートで疲れて丼ものだった。
- でも、その分、明日の朝食で昨日の残りのみそ汁と納豆を食べよう。
- 明後日の休日は、少し野菜多めの煮物を作ろう。
1日単位で完璧を目指すのをやめたら「今日はこれでいい」と自分を許せるようになりました。
この「手抜きを許す考え方」こそが、私を罪悪感から解放してくれた一番の工夫だったような気がします。
「麺でもいい」と思えたら、食卓が一番安心できる場所になった
今でも、丼ものや麺類の日は、もちろんあります。
でも、以前のように「母親失格だ」と落ち込むことはなくなりました。
冷凍庫には「みそ汁の具」があるし、冷蔵庫には「ちょい足し」できるミニトマトや納豆がある。
完璧な一汁三菜ではないけれど、最低限の栄養はプラスできている。
その事実が、「私はちゃんとやっている」という小さな自信につながりました。
何より変わったのは、心の余裕です。
罪悪感を手放したら、子供たちの「美味しいね」という言葉を、素直に喜べるようになったのです。
私にとって「丼ものの日」は、もう「手抜きの日」ではありません。忙しい毎日を乗り切るための、大切な「調整の日」になったのでした。
