「お守り」だったサバ缶が「今日のごはん」になった日。火を使わない缶詰だけで乗り切る、私の心の着地点

疲れ果てた日、サバ缶やツナ缶だけで食卓を整えるための、罪悪感を手放す考え方と工夫。

キッチンの棚に並んだ、サバの味噌煮缶とツナ缶。

これらは、忙しい私にとっての「お守り」のような存在でした。

でも、本当に疲れて、もう何も作る気力が湧かない夜、この「お守り」に手を伸ばすたび、胸がチクリと痛むのです。

「今日も、これでごめん」

家族の顔を見られなくなるような、そんな気持ちとの戦いでした。

罪悪感で開けたサバ缶が、私を許す「0.5手間」の入り口だった

扶養内パートと二人の育児。夫は家事育児にあまり協力的ではなく、家事と育児に追われるうちに、一日はあっという間に終わってしまいます。

特に精神的に落ち込んだ日や、体調が優れない日。夕飯を作る気力がどうしても湧かない。そんな時、棚のサバ缶に手が伸びるわけです。

以前の私は、サバの味噌煮缶をパカっと開け、炊いたご飯の横にそのまま置いていました。

それを食卓に出す時の、あの重たい気持ち。

夫から「またこれ?」と言われるのではないかという怯えと、栄養のあるものを食べさせてあげられていないという罪悪感。

ふと、自分が子供の頃、母が作ってくれた食事を思い出すことがありました。

いつも健康だったのは、母のさりげない工夫のおかげかもしれない。それに比べて私は……。自炊ができない自分はダメな母親だ、と自分を責めていたんですよね。

この「お守り」は、私を助けてくれると同時に、私の心をすり減らすものでもありました。

「お守り」を「立派なごはん」に変えた、小さな意識の変化

そんな私が、缶詰を罪悪感なく開けられるようになったのは、ある考え方の転換がきっかけでした。

「手抜き」ではなく「栄養補給」という事実

まず、私は缶詰に対する「手抜き」というレッテルを、自分の中ではがすことにしました。

調べてみると、サバ缶やツナ缶は、私が思っている以上に栄養価が高い食品だったのです。

  • サバ缶には、DHAやEPAが豊富で、タンパク質もしっかり摂れる。
  • ツナ缶も、良質なタンパク源で、油ごと使えば栄養を逃さない。

これだけの栄養が、下ごしらえ不要で摂れる。

これは「手抜き」なのではなく、むしろ時間がない中で家族の健康を考えた、最も効率的な「栄養補給」なのだと。そう思うことにしたのです。

それに、サバ缶に豊富なDHAやEPA、ツナ缶の良質なタンパク質は、家族だけでなく、睡眠不足で疲れがちな私自身の体にとっても、きっとプラスになるはず。

[参考]脂質異常症の食事 | e-ヘルスネット(厚生労働省)
[参考]たんぱく質 | e-ヘルスネット(厚生労働省)

そう考えると、缶詰を選ぶことは、自分を労わるための一つの選択でもあるんだ、と心が軽くなりました。

火を使わない。「0.5手間」が私を救う

とはいえ、ただ缶詰を開けるだけでは、どうしても「ごめん」という気持ちが拭えない。

そこで私が見つけたのが、ほんの少しだけ手を加える「0.5手間」という考え方でした。

火は絶対に使わない。包丁も、できれば使わない。

それでも、ただ出すだけとは違う。「ちゃんと、ごはんを作った」と自分が納得するための工夫です。

私の定番「サバ缶丼」

これは本当に簡単で、サバの味噌煮缶をご飯の上に乗せたら、チューブの生姜を少し加えるだけ。

これだけで、あの独特のサバの匂いが和らぎ、パンチのある一品になります。彩りに刻みネギでも散らせば、もう十分です。

「貴族レベル」のツナマヨ丼

ツナ缶も、ただのマヨ和えでは終わりません。「貴族レベル」という表現を見て試したのが、刻みたくあんを加える方法。

  • ツナ缶(油は切っても切らなくても)
  • マヨネーズ
  • 刻みたくあん(市販品)
  • あれば、めんつゆ少々

これらを混ぜてご飯に乗せるだけ。

火を使わないのに、食感も楽しく、満足感が格段に上がりました。キムチとマヨネーズを混ぜるだけでも、立派な一品になります。

もう一品ほしい時の「和えるだけ」おかず

丼ものだけだと少し寂しいな、という時は、こんな「和えるだけ」のおかずを添えることもあります。

ツナと塩昆布の無限キャベツ

千切りキャベツ(市販のカット野菜でOK!)に、ツナ缶(油ごと)、塩昆布、ごま油を和えるだけ。包丁いらずなのに、立派な副菜になります。

サバ缶ときゅうりの味噌マヨ和え

サバ水煮缶を軽くほぐし、薄切りにしたきゅうり(塩もみ不要!)、マヨネーズ、味噌少々で和えるだけ。きゅうりの代わりにカットわかめを使っても美味しいです。

お皿に盛るだけで「ごちそう感」

もう一つの工夫は、盛り付けです。缶のまま食卓に出すのではなく、お気に入りの小皿に移す。

それだけで、罪悪感だらけだった食事が「身体に良いものを食べてる」というポジティブな時間に変わったような気がします。

この「0.5手間」は、家族のためというより、私自身が納得するために必要な儀式のようなものなのかもしれません。

缶詰を開ける日は「休む」と決めた日

今でも、キッチンの棚にはサバ缶とツナ缶が常備されています。それは変わらず、私の「お守り」です。

でも、以前と違うのは、それに手を伸ばすときの気持ち。

缶詰を開ける日は、私が「休む」と決めた日。

完璧な一汁三菜を目指すことをやめ、火を使わない「0.5手間」で済ませることを、自分に許した日です。

不思議なもので、あんなに感じていた罪悪感は、もうほとんどありません。

「ちゃんと作らきゃ」という呪縛から解放されたことで、心に余裕が生まれたのだと思います。

そして、その余裕が生まれた分だけ、食卓での子供たちの笑顔を、まっすぐ見られるようになったのです。

私の「献立地獄」との戦いの記録

この記事でお伝えした小さな工夫も、私を苦しめていた「ちゃんと作らなきゃ」という重いプレッシャーから自由になるための、大切な一歩でした。

でも、そんな私の苦しみの、一番の根っこにあったもの。それは「今日の夕飯、どうしよう」と毎日ゼロから考え続けなければいけない、あの「献立地獄」そのものだったんです。

このブログの根底にある「考えること」そのものを手放して心に余裕を取り戻す…という考え方。その原点であり、私にとっての「心の処方箋」となった物語が、ここに詰まっています。