子供の外食がストレスだった体験と「外食=栄養は0点でいい」と割り切ることで親の心が楽になった方法の記録です。
金曜の夜…。パートから帰り、保育園のお迎えに行き、息つく間もなく夕飯の支度。
キッチンに立った瞬間、ぷつりと何かが切れました。もう、何も作りたくない。
夫はソファでスマートフォンを眺めている。「ごめん、今日外で食べない?」夫は「いいよ」と一言。
その一言で、今夜の家事から解放される安堵と、また私だけが子供二人の世話をしながらの外食になるのかという諦めが、同時に押し寄せました。
「手抜き」のはずが「地獄」に。ポテトしか食べない我が子に罪悪感が爆発した日
向かったのは、近所のファミリーレストラン。
家事を「手抜き」して、楽をするための外食だったはず…。なのに、席に着いた瞬間から、そこは戦場に変わるのです。
「ジュース!」「ポテト!」メニューを開く前から始まる子供たちのリクエスト。
「こっちのハンバーグにしない? お野菜もついてるよ。」
「イヤ! ポテトがいい!」
結局、テーブルに並んだのは、お子様うどんと、山盛りのフライドポテト。私は、栄養バランスという言葉が頭の中でぐるぐる回るのを感じていました。
家では、野菜を細かく刻んでハンバーグに混ぜ込んだり、キーマカレーにして何とか食べさせようと、自分なりに頑張っている。
…それなのに、外食に来た途端、この努力がすべてゼロに戻るような感覚。
隣のテーブルでは、同じくらいの歳の子が、おいしそうにエビフライを食べている。それに比べて、うちの子たちはポテトを手づかみで頬張っている。
(ちゃんと食べさせられない、私のせいだ)
Xで「食べない子と外食するのって楽しくないなぁ…。普通に食べる子ならきっともっと楽しいんだろうなぁ…」という声を見かけたことがある。
まさに、今、私が感じていることそのものだった。
周りの視線が「あの親はポテトばかり食べさせて」と責めているように感じて、胸が苦しくなりました。
結局、私は冷めてしまった自分のパスタを、味もわからないまま慌ててかきこむだけ。
「早く帰りたい」
楽をするために来たはずの外食が、栄養不足への焦りと「ちゃんとできない親」という自己嫌悪を抱える、一番のストレス源になっていたのでした。
私が「完璧な栄養」を諦めた日
その日も、疲れ果てて外食を選びました。
いつものファミレスで、いつものように「うどん」と「ポテト」をねだる子供たち。
「わかったよ…」もう、何も言い返す気力がありませんでした。
そして、私は自分のメニューを決めるとき、ふと思ったのです。
(私も、私が本当に食べたいものを食べよう)
いつもは、子供に取り分けられるようにとか、なんとなく栄養がありそうなものとか、そんな基準で選んでいた。
でも、その日は違いました。自分が一番食べたい、熱々のドリアを注文したのです。
先に運ばれてきたポテトに、子供たちが夢中になっている間に、私のドリアが来ました。
湯気が立つそれを一口食べた瞬間、涙が出そうになった。
(私、今、自分のために食事してる)
子供たちは、ポテトとうどんで満足そうにしている。私は、熱々のドリアを食べて幸せを感じている。誰もイライラしていない。
そこで、ストンと腑に落ちたのです。
外食は「栄養を摂る場所」じゃなかったんだ。ここは「私が調理と片付けから解放される場所」だったんだ。
家で60点の栄養を頑張っているなら、週に一度の外食くらい、栄養が0点だっていいじゃないか。
「ちゃんと」を求めるから苦しかった。
「正しい母親像」に縛られて、勝手にイライラして、子供にまで圧をかけていたのは、私自身でした。
「栄養は二の次」と決めてから、外食が楽になった3つのルール
「外食=栄養は0点でいい」と割り切ってから、私の心は驚くほど軽くなりました。
もちろん、子供の健康が心配じゃなくなったわけではありません。でも、その心配を「外食」の場に持ち込むのをやめたのです。
そのために、私なりに決めたルールがあります。
1. 割り切り:「コンフォート・フード」を「安全地帯」と認める
まず、意識を変えました。
うどんやポテトは、子供にとっての「コンフォート・フード(安心できる食べ物)」。
[参考]国際学部 専任講師の青木洋高先生が、えどがわメティ研究調査報告会で発表しました|文教大学
栄養はなくても、彼らが機嫌よく、おとなしく食べてくれる「安全地帯」なのだと認めることにしたのです。
親の役目は、栄養バランスを説教することではなく、子供が安全地帯で満足している間に、自分の食事を温かいうちに楽しむこと。そう割り切りました。
2. 店選び:「子供の安全地帯」がある店を前提にする
外食でまで、子供と「食べる・食べない」のバトルをしたくない。
だから、店選びの基準を「私が食べたい店」から「子供の安全地帯(うどん、ポテト、回転寿司)がある店」に変えました。
その代わり、その店の中で「私が一番食べたいもの」を妥協せずに選ぶ。
これだけで、お店選びの迷いも、席についてからの攻防もなくなりました。
3. 段取り:「まずポテト」で親の時間を確保する
お店に着いたら、まず子供が静かになるメニュー(大抵はポテトか枝豆)を真っ先に注文します。
料理が来るまでの待ち時間が一番の鬼門。ここを乗り切るために、お気に入りのシールブックや塗り絵は必ず持参します。
そして、子供たちがポテトに集中している間に、自分の食事をゆっくり味わう。
この「親の時間」を確保することが、私にとっては何よりの栄養補給になりました。
「ちゃんと」を手放したら、食卓に笑顔が戻ってきた
あんなに「戦場」だった外食が、今では私にとって貴重な「息抜き」の時間に変わりました。
子供たちは相変わらず、うどんかポテトを食べています。でも、以前のように「またポテト…」と眉間にシワを寄せる私が、そこにはもういません。
「ママもドリア美味しいよ」
「そっかー、よかったね!」
栄養が完璧じゃなくても、こうして笑い合えること。
「出来る事が増えると笑顔が増える」という言葉のように、私も「外食」という選択肢をポジティブに選べるようになりました。
「食べさせなきゃ」という呪いから解放されて、私自身が心から食事を楽しむこと…。
それが、家族にとって一番大切な「栄養」だったのかもしれないと、今は感じています。
栄養バランスは、また明日から、家でぼちぼち頑張ればいい。1週間単位で見れば、きっと大丈夫。
そう自分に言い聞かせながら、私は今日も温かいコーヒーをゆっくりと飲んでいるのです。