子供が野菜ジュースを飲む姿に、栄養不足の心配と「手抜きだ」という罪悪感が押し寄せる。「食事から摂らせる」という呪いを手放し、心の平穏を選んだ記録。
キッチンの隅で、小さく丸めたティッシュがいくつも転がっている。また、夫に自分の意見を言えなかった…。
パートの疲れと、ワンオペ育児の焦りが混ざり合って、息が詰まるようでした。
夕飯の準備。今日も、2歳になったばかりの下の子が食べてくれるよう、ハンバーグに練り込むピーマンを必死でみじん切りにする。
そんな「バレない努力」を、一体いつまで続ければいいのか…。
上の子の時もそうでした。1歳まではあんなに何でも食べていたのに、2歳を過ぎた頃から、緑色のものを見るだけで首を横に振る。
- 「また残してる」
- 「ちゃんと食べさせないと、栄養が足りなくなる」
その焦りと、食材を捨て続ける虚しさ。
そして「私の料理が美味しくないからだ」という、出口のない自己否定感。
そんな毎日が、私を少しずつ追い詰めていったのです。
もう、頑張れない。食事作りが「敗北」に変わった日
子供が2人になり、家事育児に1日の大半を奪われ、自分時間なんてない生活。産後の情緒不安も重なり、私はいつも疲弊していました。
夫は家事育児に協力的とは言えず、私がどれだけ工夫しているかなんて知りません。
ただ、食卓に並んだ料理を見て、子供が食べなければ、静かな圧力を感じるだけ…。
「完璧な母親」という呪い
一番私を苦しめていたのは、「栄養は食事から摂るべきだ」という、自分自身にかけた呪いでした。
- 子供の野菜嫌いは、私の努力不足。
- 市販のものに頼るのは、手抜き。
- 野菜ジュースなんて、糖分の塊で、気休めに過ぎない。
そう信じ込んでいました。
限界が来た、あの日
ある雨の日。パートで理不尽なミスを押し付けられ、急いで保育園に迎えに行き、帰宅したのは18時半。
疲労困憊の中、夕飯の支度を始めた時でした。細かく刻んだ人参とピーマン。それを、床にぶちまけてしまったのです。
プツン、と。 私の中で、何かが切れました。
もう、無理だ。もう、頑張れない。
泣きながら床に散らばった野菜を眺めていると、ふと先日パート帰りに寄ったスーパーの光景を思い出したのです。
飲料コーナーで、私と同じくらいの子供を連れたお母さんが「野菜摂らないから、せめてこれ」と幼児向けの小さな野菜ジュースをカゴに入れていた。
その時は「あれは糖分が多いから」と無意識に目をそらしたのに…。今、床に散らばった人参を前に、あの光景が妙に頭に焼き付いて離れない。
「……ジュース」
ジュースに頼るデメリットは、栄養の完璧さが欠けること。 でも、メリットは?
ハンバーグに必死で野菜を練り込む、あの虚しい時間。食卓で「食べた」「食べない」とイライラする、あの険悪な時間。
それが無くなる。無理に食べさせなくていい。その分、私が笑顔で子供と過ごせる時間が増える。
そんな単純な比較が、私の心を少しだけ軽くしました。 私は「食事から栄養」を、完全に諦めたいと思いました。
野菜ジュースは「手抜き」か? 迷いの先に見えた光
かといって、栄養不足の心配が消えるわけではありません。
藁にもすがる思いで「子供 野菜ジュース 罪悪感」と検索したのです。
そこには、私と同じように葛藤する声と、専門家の様々な意見が並んでいました。
- 「ジュースは野菜の代わりにはならない」
- 「ジュースを与えると水を飲まなくなる」
- 「糖分の摂りすぎになる」
やはり、ダメなのか…。これは「母親の敗北」なんだ。
そう落ち込んだ時、ある栄養士さんのコラムと、同じ悩みを持つ人の体験談が目に入りました。
- 「ジュースは『あと少し』を補う補助として捉えては?」
- 「完璧を求めず、ジュースを補助として取り入れたら、体調が良くなった」
- 「偏食で栄養が心配な時、栄養補助食品は『食べられない』状況を助ける補助具になる」
「補助具」…?「手抜き」や「敗北」ではなく?
私の「呪い」を解いた、一つの視点
その時、気づいたのです。
私は、子供の栄養よりも「完璧な母親でなければならない」という自分のプライドを守ろうとしていたのかもしれないと…。
イライラしながら無理やり食べさせようとすることが、子供にとって本当に良いことなのか?
それよりも、市販の力を「賢く」借りて、私が笑顔でいる時間を増やす方が、よほど大切なのではないか?
これは「手抜き」じゃない。私が心の平穏を保つための「賢い外部委託」なんだ。
そう思えた瞬間、重くのしかかっていた「呪い」が、スッと軽くなるような気がしました。
私が実践した「罪悪感ゼロ」のジュース活用術
「外部委託」と割り切ってから、私は自分なりのルールを決めて、野菜ジュースや関連アイテムを取り入れることにしました。
1. 目的を「完璧」から「補助」へ
まず「ジュースで全ての野菜を摂らせる」という考えを捨てました。
あくまで、食事で足りない分を「あと少し」補うもの。ゼロよりマシ、というスタンスです。
- 基本は食事: 食べなくても、野菜を食卓に出すことは続ける。
- ジュースの位置づけ: 食事では摂れない栄養の「保険」であり「補助具」と考える。
2. 「補食」として時間と量を決める
ジュースを「食事の代わり」にすると罪悪感があったので、おやつの時間を「補食」(足りない栄養を補う食事)と捉え直しました。
例えば、午後のおやつとして、幼児用の小さなパック1本だけ、というように時間と量を決める。
こうすることで「ジュースだけを与えている」という罪悪感が和らぎました。
「ジュースを補助として取り入れたら、驚くほど体調が良くなった」という体験談のように、完璧を目指さない選択が、結果的に心の余裕を生むこともあります。
まさに、おやつを「足りない栄養を補う食事(補食)」と捉える考え方です。
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3. 私なりの「選び方」基準を持つ
専門家が指摘する糖分や添加物への不安は、私にもありました。
例えば厚生労働省の「e-ヘルスネット」では、子供の間食について「3度の食事でとりきれないエネルギーや栄養素を補う良い機会となり得ます」と言及されています。
[参考]e-ヘルスネット(厚生労働省)「お菓子や間食の取り入れ方」
こうした公的な情報も「補食」の考え方として参考にしつつ、自分なりに納得できる基準を設けました。
- 幼児向けを選ぶ: 大人のものより味が調整されているものを選ぶ。
- 果汁ミックスから試す: まずは「飲んでくれる」ことを優先し、果物多めのものからスタート。
- 成分表示を見る: 砂糖や人工甘味料が添加されていないか、なるべくチェックする。
「これが絶対の正解」かは分かりません。
でも、自分で調べて選んだという事実が「ただ楽をしているだけじゃない」という自信に繋がりました。
食卓から「呪い」が消えた日
野菜ジュースを導入して数週間。劇的に子供が野菜を食べるようになったわけではありません。
でも、私の心は、驚くほど軽くなりました。
夕飯の支度で、野菜をみじん切りにする時間が減り、その分、子供と絵本を読む余裕が生まれたのです。
食卓で、子供がピーマンを皿の端に寄せても「まあ、ジュースで少しは摂れてるし」と、イライラしなくなりました。
無理強いをしないことで、食事の時間が険悪にならなくなったのです。
何より「ちゃんと食べさせなきゃ」という強迫観念から解放されたこと。それが一番の変化でした。
- 完璧な栄養バランスの食事を、イライラしながら出す母親。
- 少し市販の力を借りてでも、笑顔で「美味しいね」と言える母親。
私は、後者を選んだのです。
「栄養は食事から」という理想は、とても立派です。
でも、その理想が母親一人の努力と我慢の上に成り立っているなら、その呪いは、一度手放してみてもいいのかもしれない。
私にとって野菜ジュースは「母親失格」の証ではなく、家族と自分の心の平穏を買うための、賢い「外部委託」であり、大切なお守りになったのです。