昨日の残り物を使った、罪悪感をなくし食卓を豊かにする具体的なリメイクレシピと、その実践記録です。
冷蔵庫を開けるのが、少し怖かった時期があります。
奥に見える、昨日の夕食が入った保存容器。あれをどうしようか…と。
夫は残り物を出すと、あからさまにがっかりした顔をする。かといって、頑張って作ったものを捨てるのは、ひどい罪悪感に襲われる。
あの「もったいない」という気持ちと、家族への申し訳なさ。その板挟みが、本当に苦しいものでした。
「残り物」という重圧から解放された、私のささやかなリメイク術
パートから帰って、子供たちの世話をして。夕食の準備に取り掛かる頃には、もうクタクタ。
そんな時、冷蔵庫の残り物が目に入るのです。
「あぁ、あれを食べてもらわないと…。」
それは「楽ができる」という安堵よりも、「消費しなければならない」という義務感でした。
以前、残り物の肉じゃがに無理やり調味料を足して、味を変えようとして失敗したことがあります。
美味しくない、と残されたお皿を見て、ただでさえ無い気力が、さらに削られていくのを感じました。時間も手間もかけたのに、この徒労感…。
「食べ物を残すな」と育てられた私は、捨てることもできず、結局、子供が残した分まで私が無理やり口に運ぶ。そんなことを繰り返していました。
「味変」ではなく「姿変」。リメイクが私を救った日
きっかけは、潰した「肉じゃが」
ある日、またしても残った肉じゃがを前に、私は途方に暮れていました。
もう、あの美味しくないアレンジで失敗したくない。
その時、ふと思ったのです。
「味を変えようとするから難しいんだ。いっそ、形を完全に変えてしまったらどうだろう」と。
思い切って、肉じゃがを袋に入れて潰し、丸めて小麦粉と卵、パン粉をつけました。そう、コロッケです。
油で揚げた、熱々のコロッケ。それを食卓に出した時の、夫の顔。「これ、うまい!」
昨日と同じものだとは、全く気づいていない様子でした。
私にとってそれは、ただのコロッケではなく、残り物への罪悪感から解放された、記念すべき「ごちそう」になったわけです。
リメイクの「黄金ルール」を見つける
それから、私は残り物のリメイクを少しずつ試すようになりました。失敗を減らすために、私なりに見つけたルールがいくつかあります。
ルール1:形を大胆に変える(形あるもの→形なきものへ)
これはリメイクの基本だと知りました。
肉じゃがをコロッケにしたように、形を変えるだけで「残り物感」は一掃されます。
- カレー: 翌日はご飯とチーズを乗せて「焼きカレー(ドリア)」に。
- ポテトサラダ: 春巻きの皮で巻いて「ポテサラ春巻き」に。
- 筑前煮: 刻んでご飯と炊き込み「炊き込みご飯」に。
ルール2:味は「足す」より「活かす」(薄い味→濃い味へ)
無理に味を変えようとすると失敗します。元の料理の味を活かすのがコツです。
- コンソメスープが残ったら、翌日はトマト缶を足してミネストローネに。
- さらに次の日はカレールーを足してカレーに。
ベースの旨味があるので、味が決まりやすいのです。塩やゴマ油、少しのニンニクを足すだけでも、味に深みが出ます。
罪悪感をゼロにする「使い切り」の工夫
リメイクを意識し始めてから、「捨てる」ことが格段に減りました。
それは、メインの料理だけではないのです。
例えば、大根や人参の皮、野菜の切れ端(芯やヘタ)、ブロッコリーの茎など、普段なら捨ててしまう部分を、捨てずに冷凍庫に溜めておくんです。
ある程度溜まったら、それをコトコト煮出して野菜だし(ベジブロス)を取ります。
[参考]農林水産省 食品ロス削減
この出汁をベースにすれば、コンソメ要らずのポタージュになったり、いつもの味噌汁がぐっと深みのある味になったり。中華スープやトマトスープのベースとしても使えます。
食材を最後まで使い切ることは「もったいない」という罪悪感を消してくれるだけでなく、食費の節約にも繋がる、私にとって大切な工夫になりました。
「厄介者」から「未来の私への仕送り」へ。冷蔵庫が教えてくれた心の余裕
以前は、冷蔵庫に残った昨日の料理を見るたび、心が重くなっていました。
「ああ、これをどうにかしないと…。」あの義務感は、本当に苦しいものでした。
でも、今は違います。
多めに作ったカレーや肉じゃがは「厄介な残り物」ではなく「明日の私を助けてくれる、未来の自分への仕送り」のような存在です。
「明日これがあるから、コロッケにしよう」
「焼きカレーにすれば、夫も喜ぶな」
リメイクという方法を知っただけで、料理へのプレッシャーが、少しだけ「楽しさ」に変わったような気がします。
食費が節約できるとか、フードロス削減になるといったメリットはもちろん嬉しいことでした。
でも、私にとって一番大きかったのは、「今日も手抜きをしてしまった」という罪悪感から解放されたこと。冷蔵庫を開けるのが、もう怖くは、ないのです。