扶養内パートの主婦が、自分にお金を使う罪悪感の正体と向き合い、日々の小さな選択を変えることで心に余裕を取り戻すまでを綴った体験記です。
レジの前で、たった数百円のハンドクリームをぎゅっと握りしめたまま、動けなくなったことがありました。
カゴの中には、夫が好きなビールの新商品と、子供たちが喜ぶキャラクターのお菓子。
それなのに、自分のためのハンドクリーム一本をカゴに入れることが、どうしてもできなかったのです。
胸の奥が締め付けられるような、息苦しい感覚。それが、私の日常でした。
「私には価値がない」と思い込んでいた、あの日の涙の理由
扶養内パートとして働き始めてから、私の中で「自分に使っていいお金」と「家計のお金」の境界線は、日に日に曖昧になっていきました。
家計簿アプリを開くたび、支出が数字として目に飛び込んでくるのがプレッシャーになり、自分の服や化粧品を我慢することが当たり前になっていたのです。
きっかけは、本当に些細なことでした。
ドラッグストアの片隅で、ふと目に留まった少しだけ値段の高い美容液。
ほんの数秒、それに心惹かれた自分に気づくと、すぐに「無駄遣いだ」という声で打ち消しました。
その帰り道、なぜだか涙がぽろぽろとこぼれてきたのです。
節約はしている。家族のために、と自分に言い聞かせている。それなのに、心は空っぽで、どうしようもなく虚しい。
「私がお金を使うなんて、価値のない人間なのに…」
そんな自己否定の声が、頭の中で何度も繰り返されていました。
それは、いつの間にか私の中に深く根付いてしまった「母親は家族のために自分を犠牲にするのが当たり前」という、無意識の思い込みだったのかもしれません。
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「浪費」ではなく「投資」。小さなご褒美が生んだ心の変化
そんな息苦しさの中でもがいていたある夜、本の中で「セルフ・コンパッション(自分への思いやり)」という言葉に出会いました。
自分を責めるのではなく、親しい友人をいたわるように、自分自身にも優しさを向ける、という考え方です。
その本には、自分を大切にするための、こんな小さなヒントが書かれていました。
- 家事で失敗しても、「人間だもの、そういう日もあるよね」と自分に声をかけてあげる。
- 疲れている日は、無理せずお惣菜に頼ることを自分に許してあげる。
- 一日の終わりに、今日できたことを一つだけ(「子供を怒鳴らずに済んだ」など)見つけて、心の中で自分を褒めてあげる。
これらのことは、決してお金をかけることではありません。でも、この小さな習慣の積み重ねが、私の心を少しずつ解きほぐしてくれたのです。
そして私は、「お金の使い方」に対する考え方そのものも見直すことにしました。それは、「浪費」と「投資」をはっきりと区別する、という考え方です。
今までの私は、自分に関わる出費のすべてを「浪費」だと決めつけていました。でも、もし、自分の心の健康や日々の活力を取り戻すためのものが「投資」なのだとしたら?
そう考えると、日常の風景が少しずつ違って見えてきたのです。
- 数百円のコンビニスイーツ:これは「贅沢」ではなく、家事と育児の合間に10分間の休息をとり、午後の私が笑顔でいるための「先行投資」。
- 少し良い枕を買うこと:これは「無駄遣いだ」ではなく、毎日の睡眠の質を上げ、笑顔で朝を迎えるための「心と体への」投資。
- 夜に一人で近所を走ること:お金のかからない、最高の「ご褒美」。頭の中が整理され、心がリセットされる大切な時間。
この小さな視点の切り替えが、私の罪悪感に少しずつ風穴を開けていくことになりました。
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夫と向き合った、「お小遣い制」という解決策
それでも、「夫のお金で自分のものを買うのが申し訳ない」という気持ちは、まだ心の奥に根強く残っていました。
扶養内で働く以上、経済的に夫に頼っているという負い目が、常にどこかにあったのです。
ある日、思い切って夫に今の気持ちを正直に打ち明けてみました。
私の話を聞いた夫は驚いていましたが、二人で何度も話し合った結果、我が家は「夫婦それぞれのお小遣い制」を始めることにしたのです。
決めたのは、ごくシンプルなルールでした。
| 我が家のシンプルなルール | その目的 |
|---|---|
| 1. 毎月決まった額を、それぞれの口座に振り込む | 互いの収入に関係なく、気兼ねなく使えるお金を確保するため。 |
| 2. その範囲内なら、使い道には一切干渉しない | 肩身の狭さや罪悪感をなくし、心理的な安心感を得るため。 |
| 3. 生活費や貯金は、これまで通り共有口座で管理 | 家計全体の透明性は保ち、家族の将来設計も見失わないため。 |
このルールが始まったことで、私の心は驚くほど軽くなりました。
それは、金額の多さの問題ではなかったのです。
「これは、あなたが自由に使うためのお金だよ」と夫婦の間で合意が取れたこと。それが、私に心の自由を与えてくれました。
「~すべき」を手放した先に見えた、穏やかな景色
今でも、高級なブランド品をためらいなく買えるわけではありません。けれど、あの日のように、たった数百円のハンドクリームの前で立ち尽くすことはなくなりました。
- 仕事帰りに、自分のためだけにカフェラテを買う。
- 本屋で、ずっと気になっていた一冊を手に取る。
そんな、ささやかな選択を自分に許せるようになったのです。
自分を大切にすることは、わがままなことではありませんでした。それは、日々の忙しさですり減ってしまった心を、自分の手で丁寧に満してあげること。
私の価値は、稼ぐ金額や節約できた額で決まるのではなかった。ただ、私が私らしく、笑顔でいること。それ自体に、価値があったのです。
そうして生まれた心の余裕が、自然と家族への笑顔に繋がっていく。
罪悪感という重い鎧をそっと脱いだ今、見える世界は、以前よりも少しだけ優しくて、穏やかな気がします。