SNSのキラキラ育児に疲れた私が、他人との比較をやめて自分のペースを取り戻すまでに行った心の習慣

SNSのキラキラ育児に疲れた私が、他人との比較をやめて自分のペースを取り戻すまでに行った心の習慣

SNSの比較疲れから抜け出し、自分軸を取り戻すための具体的な心の習慣についての体験談です。

スマートフォンの冷たい光だけが灯る、深夜の静寂。

そこに映し出されるのは、手作りの知育玩具に、完璧なキャラ弁、そして幼い我が子とは別世界に生きているかのような、輝かしい育児の記録。

その画面を指でなぞるたび、私の心はズキリと音を立てて痛むのでした。

「いいね」の数だけすり減った心。私がSNSの呪いを解き、笑顔を取り戻した日

かつての私は、SNSの中に育児の「正解」がすべてあると思い込んでいました。

世の中のお母さんたちは、どうしてみんなあんなに楽しそうなんだろう。それに比べて私は。そんな自己否定が、いつしか息苦しい毎日を連れてきていたのです。

子供が生まれる前は、自分の意見をはっきり言うのが苦手な、ごく普通のパートタイマーでした。それが産後、ささいなことで涙が出るほど情緒が不安定になり、夫は家事や育児に非協力的。

一日の大半を家事と育児に奪われ、自分の時間なんてないまま疲れ果てる毎日。

そんな重苦しい現実から逃げるように開くSNSには、私の悩みとは無縁の「キラキラ育児」が、これでもかと溢れていたのです。

他人の投稿を見ては、自分の現実と比較して落ち込む。

「うちはまだ〇〇できないのに」

「私だって、あんな風に穏やかに笑ってあげたいのに」

理想と現実のギャップが、私から日常の小さな喜びさえも奪っていくようでした。ネットの情報に勝手に不安を募らせては、そんな自分を「なんて馬鹿なんだろう」と責める。

まさに、出口のないトンネルの中を、たった一人で彷徨っている気分だったのです。

比較地獄から抜け出す、私だけの「SNS断食」

でもある日、ふと気づきました。

この苦しみは、誰かに強制されたものではない。私自身が、無意識にスマホを手に取り、自分を他人と比較する土俵に上がり続けているだけなのだと…。

そこから、私の小さな挑戦が始まりました。
大げさなものではなく、SNSのプレッシャーから心を解放するための、ささやかな「断食」です。

まずは「敵」を知ることから

そもそも、なぜSNSを見ると辛くなるのか。

調べてみると、これは心理学で「上方社会的比較」と呼ばれる、人間の心のクセなのだそうです。自分よりも暮らしが輝いて見える人と自分を、無意識に比べてしまう。

特に、私のように「認められたい」という気持ちが心のどこかにあると、投稿への反応が気になったり、他人の輝きが自分の欠点のように感じられたりするわけです。

私が実践した3つの物理的なルール

心を変えるのは難しい。だから、まずは行動から変えてみることにしました。

寝室にスマホを持ち込まない

一番効果があったのがこれでした。視界から物理的に隠すだけで、寝る前の無意識なネットサーフィンがぴたりと止まったのです。スマホのアラームもやめ、代わりに昔ながらの目覚まし時計を置きました。

通知は全部オフにする

メールやアプリからの通知を、思い切って全てオフにしました。これだけで、誰かのペースに合わせるのではなく「自分のタイミングで情報に触れる」という主導権を取り戻せたような気がします。

目的のない閲覧をやめる

「〇〇について調べる」と目的を決めてからSNSを開き、目的を達成したらすぐに閉じる。なんとなくアプリのアイコンをタップする、という無意識の行動を意識的に断ち切る訓練でした。

「完璧な母親」という幻想を捨てる勇気

スマホと物理的な距離を置くうちに、私の心にも少しずつ変化が訪れました。あれほど執着していた「完璧さ」が、実は自分自身を縛り付ける鎖だったと気づいたのです。

劣等感との向き合い方

他人と比べて「私にはあれが足りない」と感じる劣等感。

でも、見方を変えれば、それは「もっと良くなりたい」という気持ちの裏返しでもあるんですよね。

誰かに勝つためではなく、昨日より今日の自分が少しでも楽になるために、そのエネルギーを使えばいい。そう思えるようになりました。

「ちゃんとしなきゃ」を手放した日

食事は毎日手作りでなくてもいい。お惣菜やレトルト品に頼ったって、誰も私を責めはしない。

「ちゃんとしなきゃ」という思い込みを手放してみると、驚くほど心が軽くなったのを覚えています。

完璧な親である必要なんてなくて、子供に必要なのは、笑っている親なのだと。そのシンプルな事実に、ようやくたどり着けたのです。

自分軸で育児をする心地よさ

SNSから少し距離を置き、完璧主義を手放したことで、私の中には新しい基準が生まれました。

それは「他人からどう見られるか」ではなく「私と私の家族がどう感じるか」という、ささやかだけれど確かな「自分軸」です。

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比較対象は「昨日の我が子」

他の子と比べるのは、もうやめました。

昨日できなかったことが、今日少しだけできるようになった。その小さな成長を見つけては、心の中でガッツポーズをする。それで十分すぎるほど幸せでした。

小さな「できた」を自分で褒める

そこで私は、「小さなできたことノート」を始めました。

夜、SNSを開く代わりにノートを開き、今日できたことを3つだけ書き出すのです。

  • 「子供を怒鳴らずに済んだ」
  • 「夕飯を一品多く作れた」
  • 「洗面台の鏡を綺麗に拭いた」

どんな些細なことでも構いません。

誰からの「いいね」がなくても、自分の価値は少しも変わらない。その感覚が、私を強くしてくれたような気がします。

キラキラしていなくても、そこには確かな幸せがあった

今でも、SNSを開くことはあります。

でも、もう以前のように、画面の向こうの誰かと自分を比べて落ち込むことはなくなりました。

私の毎日は、相変わらずバタバタしていて、キラキラとは程遠いものです。手作りの知育玩具なんて作る時間はないし、キャラ弁に挑戦する気力もありません。

けれど、そこには穏やかな時間が流れています。

「ちゃんとしなきゃ」という焦りから解放されたことで、心に生まれた小さな余裕。

その余裕が、以前は見過ごしていた子供の面白い言い間違いに心から笑ったり、ただ一緒にいるだけの時間を、かけがえのないものだと感じさせてくれるのです。

私が本当に手に入れたかった「キラキラ」は、SNSの中にはありませんでした。

それは、誰かに見せるためではない、子供の面白い言い間違いに心から笑える、不格好だけれど温かい日常。そのものだったのです。