「母親失格」と泣いた夜から見つけた、私のためのイヤイヤ期乗り切り方

子供のイヤイヤに涙が出そうになる

ワンオペ育児で追い詰められた私が、子供との関係を壊さずにイヤイヤ期を乗り越えた具体的な方法についての体験記です。

「また、怒鳴ってしまった……」。

リビングの豆電球だけが灯る中、子どもの小さな寝顔を見下ろしながら、ぽつりと涙がこぼれる夜。こんなにも愛しているのに、どうしてあんなにきつく当たってしまうんだろう。

後悔と自己嫌悪だけが、静まり返った部屋にずしりと重くのしかかるようでした。

SNSを見ていても「怒ったあとに別室から聞こえてくる子供の歌声に、すぐ後悔してやりきれない気持ちになる」という、かつての私と全く同じ気持ちを吐露している声を見つけて、胸が締め付けられる思いがしました。

「母親失格」と、床に崩れ落ちたあの日

イヤだ!」「自分で出来る!

2歳半の息子の主張は、日に日に激しさを増していきました。

Aを欲しがって渡せば「やっぱりBがいい!」と叫び、Bを渡せば「Aがいいって言ったのに!」と床に転がって大泣きする

そんな堂々巡りのようなやり取りに、私の神経は毎日すり減っていたのです。

夫は激務で、月の3分の2は家にいません。深夜にそっと帰宅し、朝は私と子供たちが食卓につく頃まで寝ている。

下の子はまだ首も座らない赤ちゃんで、上の子の「ギャン泣きモード」に怯えながら、授乳と寝かしつけ、そして全く進まない家事に追われる毎日でした。

「少しでいいから、一人になりたい」。そう願うこと自体が、母親として許されないことのように感じられ、罪悪感に苛まれました。

ある日の夕食どき、ついにその時は訪れます。

ご飯をわざと床にぐちゃぐちゃと塗りたくる息子に、私の堪忍袋の緒が切れました。

声を荒らげると、息子は火がついたように泣き叫び、お皿に残っていたミートボールを壁に投げつけたのです。その姿を見て、頭の中でプツンと何かが切れ、私は無我夢中でその小さな背中を叩いてしまいました。

泣きじゃくる息子と、呆然と立ち尽くす私。

その瞬間、糸が切れたように床に崩れ落ちました。

私、なんてことを……」。情けない、ダメな母親だという思いが心を支配し、涙が止まりません。

もうノイローゼになりかけている、いや、きっとなっている。このままでは、息子も私も、本当に壊れてしまう。そんな冷たい恐怖が、はっきりとそこにはありました。

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怒りの矛先が、本当は誰に向いていたのか

どん底の中で、私は藁にもすがる思いで、スマートフォンの画面にかじりついていました。

そこで出会ったのが「アンガーマネジメント」という考え方だったのです。

苦しみの正体は、自分の中の「べき」だった

専門家の記事を読み漁るうち、私のイライラの根本的な原因は、子供の行動そのものではないのかもしれない、と思い至りました。

怒りとは、自分が無意識に握りしめている「こうあるべき」という理想が、現実によって裏切られたときに生まれる感情なのだと。

  • 「母親なのだから、常に冷静でいるべき
  • 「子供は、親の言うことを素直に聞くべき
  • 「家事は、いつも完璧にこなすべき

この呪いのような「べき」が、私自身を縛り付け、息子の自然な成長の姿さえも許せなくさせていた。

そう気づいたとき、少しだけ視界が開けたような気がしました。息子が悪いわけじゃない。私の心の持ちように、問題があったのかもしれないのです。

専門家も推奨する、怒りと向き合う最初のステップ

私が試したのは、アンガーマネジメントで専門家も推奨している怒りを感じたら心の中でゆっくり6秒数える…という、とてもシンプルな方法です。

息子が癇癪を起こした瞬間、喉まで出かかった怒鳴り声をぐっとこらえ、目を閉じて数を数える。

たった6秒。でも、そのわずかな時間が、感情の爆発を食い止め、冷静な自分を取り戻すための大切な「距離」になってくれました。

もちろん、最初はうまくいきません。

それでも繰り返すうちに「あ、今、私怒りそう」と、まるで他人事のように自分を見つめられる瞬間が、少しずつ増えていったんですよね。

自己嫌悪のループから抜け出すための、小さな実践

怒りの正体が分かっても、すぐに完璧な母親になれるわけではありませんでした。

むしろ、大切なのは完璧を目指さないこと

私は、自分を許し、息子との関係をもう一度やり直すために、いくつかの具体的な関わり方を試してみることにしました。

「ダメな母親」ではなく「ほどよい母親」でいい

母親失格だ」と自分を責め続けるのは、もうやめようと決めました。

育児書に書いてあるような完璧な母親なんて、きっとどこにもいない。

夕食にお惣菜が並んだっていい。部屋が少し散らかっていても、誰も困らない。

そうやって自分への期待値を下げ「まあ、こんなものか」と「ほどよい母」でいることを自分に許可したとき、心がふっと軽くなるのを感じたのです。

「イヤ!」を翻訳するゲームを始める

息子の「イヤ!」という言葉に、真正面から「ダメ!」と返すのをやめました。

代わりに、彼の気持ちを受け止めて、別の言葉に置き換えてあげることを意識したのです。

なぜなら、2歳の子どもの「イヤ」は、単なる反抗ではなく「自分でやりたい」という気持ちの芽生えでもあるから。

その気持ちをまず受け止めてあげることで、ただ反発しているだけに見えた息子の表情が、少し和らぐのが分かりました。

【我が家の「イヤイヤ語」翻訳リスト】

  • 子供の言葉: 「ごはん、イヤ!」
  • 翻訳後の気持ち: (今は遊びたい気分なんだな)
  • 親の言葉かけ: 「そっか、今はご飯の気分じゃないんだね。じゃあ、あの時計の長い針が6になるまで遊んだら、一緒に食べようか」
  • 子供の言葉: 「自分でやる!(キーッ!)」
  • 翻訳後の気持ち: (うまくできなくて、悔しいんだな)
  • 親の言葉かけ: 「そっか、自分でやりたかったんだね。すごく良いね!もし難しいところがあったら、ママがお手伝いするから言ってね」

さらに効果的だったのが、日常のあらゆる場面を「ゲーム」にしてしまうことでした。

「歯磨きイヤァァァ!」と叫んだら「よーし、ママとどっちが早くバイキンマンをやっつけられるか競争だ!」と誘ってみる。

すると、「うん、やる!」と意外なほど素直に応じてくれる。対立する関係から、一緒に楽しむ関係へ

この少しの視点の転換が、親子双方のストレスを大きく減らしてくれたのは、間違いありません。

私が私でいるための「お守り」

それでも、心がささくれ立ってどうしようもない日はあります。

そんな時のために、私は自分だけのささやかな「お守り」を用意しました。

状況私の心の回復法
イライラが頂点に達しそうな時ベランダに出て、冷たい空気を胸いっぱいに吸い込む。
自己嫌悪で泣きたくなった夜好きな香りのハンドクリームを、お疲れ様と念じながら丁寧に塗り込む。
孤独を感じて潰れそうな時地域の育児支援センターのウェブサイトをただ眺める。同じように悩んでいる人がいると知るだけで、一人じゃないと思えた。

誰かにうまく頼ることが苦手な私にとって、こうした小さな工夫が、産後うつのような暗い沼から私を引き上げてくれる、命綱のようでした。

嵐のあとの食卓に、笑顔が戻ってきた日

今でも、息子のイヤイヤが完全になくなったわけではありません。

けれど、以前のように、彼の言動一つで私の世界が根こそぎ揺さぶられるような感覚はなくなりました。

床に崩れ落ちて泣いたあの日、私は「母親失格」の烙印を自分に押しました。でも今は、違います。

怒鳴ってしまう日があっても「そんな日もある」と自分を許せるようになった。完璧じゃない自分を受け入れられたとき、不思議と子供の不完全さも、愛おしい成長の証なのだと思えるようになったのです。

この間、息子がふと言いました。「ママ、だいすち」。

その言葉を聞いたとき、ああ、私の気持ちはちゃんと伝わっていたんだ…と胸がじんわりと熱くなりました。

嵐のような毎日の中で、私が見つけた私なりの乗り切り方。

それは、立派な母親になるための大げさな方法ではありません。ダメな自分のままで、子供と一緒に笑うための、ほんのささやかな知恵だったのかもしれません。