急な来客前の焦りを「見せる場所」と「見せない場所」の割り切りで乗り越え、心の余裕を取り戻すまでの体験記。
インターホンの「ピンポーン」という無機質な音。それが私にとって、この世で最も恐ろしい音の一つでした。
玄関のドアを開けるまでのわずかな数秒間、頭の中を駆け巡るのはいつも同じ後悔。
「どうして、もう少し片付けておかなかったんだろう。」
人を招くことは嫌いではないはずなのに、いつからか来客は、私にとって「家事の通信簿」を突き付けられる、恐怖のイベントになっていたのです。
あの日の絶望から、「そこそこ」で大丈夫な私になるまで
「今、近くのスーパーにいるんだけど、これから寄ってもいいかしら?」
パートが休みのある日、2人の子供たちと格闘しながら、ようやく洗濯物を取り込んだ昼下がり…。スマートフォンに表示された義母からのメッセージに、心臓が凍りつくのを感じました。
「え、今から?」
リビングを見渡せば、床には子供が脱ぎ散らかした靴下と、午前中に格闘したお絵描きの残骸。キッチンのシンクには、朝食と昼食の食器が溜まっています。
「だらしない嫁だと思われたくない」
その一心で、慌てて掃除機をかけ、床のものをかき集め、シンクに食器を押し込む。でも、夫は家事に非協力的。このパニックと絶望的なタスクを、たった一人で背負い込んでいる孤独感。
結局、私がどれだけ必死になっても、家全体が綺麗になるはずもなく、中途半端に片付いた(というより、モノを隠しただけの)部屋で、私は引きつった笑顔で義母を迎えることしかできませんでした。
その夜、夫に「急に来るって言われても困る」と愚痴をこぼしても「別に気にしすぎじゃない?」と返されるだけ…。
このストレスは、この孤独な戦いは、私にしか分からない。
ソファで一人「急な来客って、本当にストレスだったんだな」と深いため息をつく。もう、人を呼ぶのが怖い。そんな日々に、私はすっかり疲弊していました。
私が「完璧」の呪いを解いた、防衛的片付け術
転機になったのは、あまりのストレスに「もう無理だ」と、ある種の諦めを感じたことでした。
家事も育児もパートも、全部私一人で完璧にこなそうとするのは、土台無理な話。
そんな時、インターネットで偶然見かけた、ある大学のコラムの言葉に、ハッとさせられたのです。
そこには、私と同じように「完璧な母親」であろうとして苦しんでいた人が、他者との対話の中で「しんどい」と認め、呪いから解放されていく姿が書かれていました。
[参考]大阪青山大学 健康科学部 看護学科 #02 育児中の母親の子育て支援拠点におけるピアスタッフの経験を通した気づき
「私だけじゃ、なかったんだ…」
そう気づけた瞬間、張り詰めていた糸が切れました。
「完璧じゃなくてもいい」そう認めることから、私の「防衛的片付け術」は始まったわけです。
すべてを「完璧に」片付けるのは、諦める
まず決めたのは「家全体を綺麗に見せる」という無謀な目標を捨てること。
冷静に考えれば、来客が家中のクローゼットや寝室までチェックするわけではありません。義母やママ友が「見る場所」は、実はとても限られている。
私が本当に守るべきは、家全体の清潔さではなく、来客の「動線」と「目線」だけだったのです。
そのために、家事を「細分化」する考え方を取り入れました。
- 大きな目標(家全体)ではなく、「今日は玄関だけ」と小さな範囲に絞る。
- 捨てるか迷うものは無理に決めず「保留BOX」に一時的に入れて、後で冷静に判断する。
死守すべき「3つの聖域」と15分オペレーション
私は、急な来客に対応するため、死守すべき場所を「玄関」「トイレ・洗面所」「リビング」の3つに絞り込みました。
そして、それぞれの場所で「これだけはやる」という最低限のタスクを決めたのです。
1. 玄関:家の第一印象フィルター
お客様が最初に目にする玄関は「この家は綺麗だ」という第一印象を与えるための「フィルター」のような場所です。
- 靴をすべて下駄箱にしまう。
たたきに靴が一足もないだけで、空間は驚くほどすっきり見えます。 - たたきをサッと掃く。
ホコリや砂がなければ、それだけでOKです。 - 「香り」を置く。
これが一番のポイントかもしれません。良い香りがすると、多少散らかっていても、不思議と家全体が清潔な印象になるんです。
2. トイレ・洗面所:清潔感の砦
お客様が一人きりになる可能性が高い場所だからこそ、清潔感が問われます。
- タオルを清潔なものに交換する。
- 鏡と蛇口を拭く。
洗剤は使いません。乾いた布で、水垢や指紋が見えなくなるまで拭くだけ。「光る部分」がピカピカだと、空間全体が磨き上げられているように見えるものです。 - 便座をサッと拭く。
3. リビング:目線がいく場所だけリセット
一番の難関であるリビングは、完璧を目指しません。
- 床に置かれたものを一時避難させる。
子供のおもちゃ、私のカバン、読みかけの雑誌。それらを、蓋付きの大きな「一時避難ボックス」(ただのカゴですが)に、文字通り「放り込み」ます。 - テーブルの上をリセットする。
お客様の目線が一番集中するテーブルの上から、郵便物やコップなどをすべて撤去し、水拭きします。 - ソファのクッションを整える。
これら3ヶ所のオペレーションは、慣れれば15分もかかりません。
「隠す収納」こそが、心の余裕を生む
この「防衛的片付け術」を成功させるために、日頃から意識するようになったのが「隠す収納」。
以前は「見せる収納」に憧れていましたが、私にはそのセンスも、維持するマメさもありませんでした。
「部屋の乱れは自分を労わるタイミング」。そう解釈を変えてからは、無理をすることをやめたんです。
生活感が出るもの、散らかりやすいものは、すべて扉付きの収納やボックスの中へ。
こうして「見せない場所」を確保したおかげで、いざという時の「一時避難」が格段に楽になりました。
「いつ来ても大丈夫」がくれた、本当の自由
この「防衛的片付け術」を始めてから、私には大きな心の余裕が生まれました。
先日も、義母から「今から寄るわね」と連絡がありましたが、私の心は驚くほど穏やか。「はい、どうぞ。お茶淹れておきますね」と自然に返事をしている自分がいたのです。
もちろん、15分で家全体がモデルルームのようになるわけではありません。クローゼットの中は「一時避難ボックス」でごった返しているかもしれない。
でも、それでいい…。
私にとって大切だったのは、完璧な家で「だらしない嫁」の評価を覆すことではなく「急な来客」という予定外の出来事に、自分の心を乱されないことだったのです。
「いつ来ても(そこそこ)大丈夫」
この小さな自信が、私を「完璧主義」の呪いから解放してくれました。家が「そこそこ」でも、私は私。
そう思えるようになった今、インターホンの音は、もう怖いものではなくなったのです。