学校プリントの山に埋もれない。「全部管理する」を諦めたら、心が軽くなった話

学校プリントの山に埋もれない。「全部管理する」を諦めたら、心が軽くなった話

学校プリント管理の完璧主義を手放し、独自の仕組みで心の余裕を得た体験談。

リビングのテーブルが、いつからか「一時置き場」という名の無法地帯になっていました。

かつては子供のおもちゃが散らかっていましたが、今はその上を「紙類」が覆い尽くしています。

  • 学校から持ち帰るプリント
  • 期限のわからないお知らせ
  • ポストに溜まるDM

その山を見るたび、物理的な重さとは違う「圧迫感」で、息苦しさを感じていました。

必死に片付けても、翌日にはまた新しい紙が持ち込まれ、あっという間に元の山に戻っている…。

まるで、私の「終わらないタスク」が、目に見える形で積み上がっていくようです。

「完璧に管理する」を諦めたら、リビングと心に余白が生まれた話

あのプリントの山は、私にとって罪悪感の象徴だったような気がします。

  • 「大事なものだから、捨てられない」
  • 「ちゃんと分類しなきゃいけない」
  • 「後でやろう」

そう思っているうちに、どんどん積み上がっていくのです。

夫は家事や育児にあまり協力的ではなく、プリント類に目を通すことは、ほぼありません。

私が「あのプリント、見ておいてね」と伝えても、返事はするものの、実際に行動に移されることは少ないのが現実。

結局、把握も管理もすべて私一人の仕事。完全なワンオペ状態でした。

この状況で「完璧に」管理しようとすること自体が、無理な話だったのです。情報が多すぎる現代で、すべてを把握し、分類し、記憶しておくなんて、私にはキャパオーバー。

そして、溜まったプリントの山を見るたびに「また後回しにしてしまった」と自己嫌悪に陥る。この負のループから抜け出せないことが、本当に苦しかったのです。

きっかけは「もう全部イヤだ」という衝動

ある日のパート終わり。疲れ果てて帰宅した私を迎えたのは、いつも通りのプリントの山でした。その瞬間、何かの糸がぷつんと切れたような感覚がありました。

「もう、全部捨ててしまいたい」

もちろん、提出が必要なものまで捨てるわけにはいきません。

でも、この「捨てられない」「完璧にしなきゃ」という思い込みこそが、私を縛り付けている呪いなのではないか、と気づいたのです。

私が本当に必要としていたのは、完璧な分類術ではなく、この罪悪感から解放されるための「仕組み」でした。

ステップ1:家に入れる前に「即廃棄」する

まず試したのは、家の中に「不要な紙」を入れないことです。

以前は、ポストから持ってきた郵便物やDMを、考えなしにそのままリビングのテーブルに置いていました。これがそもそもの間違いだったわけです。

ある時、パート先の先輩ママさんが「うちは玄関にゴミ箱置いて、そこで全部仕分けちゃうよ」と話しているのを聞きました。

目から鱗が落ちる思いでした。

私が試行錯誤していた「家の中での分類」ではなく「家の中に入れない」というシンプルな方法。これを、私なりに実践してみることにしたのです。

ポストを開けたら、玄関で立ち止まる。

そして、明らかに不要な広告やDM、期限切れのチラシは、そのまま玄関に置いた資源ゴミ用の袋に入れる。

たったこれだけのことですが、リビングに持ち込まれる紙類が、体感として半分以下になりました。

ステップ2:「一時保管」は「溜めない」仕組みが命

次に、玄関の仕分けを通過して家に入ってきた「要判断」の紙たちです。

プリント整理術をネットで検索すると、必ずと言っていいほど目にするのが「一時保管ボックス」の設置。

実は、私も以前に試したことがあったのです。ですが、結果は惨敗。

そのボックスが、テーブルの上から移動しただけの「第二の溜め場所」になってしまったのです。

ズボラな私には、ボックスに入れて「後で整理する」というステップが、ハードルが高すぎたわけです。

そこで、私は「一時保管」のルールを根本から見直しました。

1. 「提出物」は、即時対応

出欠確認や集金袋など、「提出が必要な書類」。これは「後でやろう」と思った瞬間に、忘れるか、山に埋もれます。

見つけたら、その場で書く。

ペンと印鑑は、プリントを処理するキッチンのカウンターに常備。書き終わったら、すぐに子供の連絡袋に戻す。

これができない場合は、玄関のドアノブに「提出用クリップ」で挟んで吊るしておくことにしました。

2. 「迷う紙」は、あえて「浅い」トレーに

問題は、すぐに捨てられず、提出も不要な「保存すべきか迷う紙」でした。

私が選んだのは、A4サイズの「浅い」トレー。これをキッチンのカウンターの隅に置きました。

あえて「浅く」したのがポイントで、物理的に溜められないようにしたのです。

このトレーがいっぱいになったら、中身を見直す合図。

3. 「保存」のハードルを極限まで下げる

このトレーの中身をどうするか?

以前は、律儀にクリアファイルに分類しようとして、挫折しました。そこで「保存」の定義を思い切りゆるくしました。

スキャンすらしない

スキャンしてデータ化するのも、私には面倒でした。

アプリ管理もやめた

プリント管理アプリもいくつか試しました。カレンダーと連携できたり、タグ付けできたりと便利なのは分かります。

でも、毎回アプリを開いて、撮影して、タグ付けする…という作業が、私には続きませんでした。

私のズボラ流:「スマホで撮って、放り込むだけ」

結局、一番続いたのは「スマホの標準カメラで撮るだけ」でした。

  • 年間予定表
  • クラスだより
  • 次のイベントの持ち物リスト

トレーがいっぱいになるタイミングで、これらをただ撮影する。そして、写真は「学校関連」というアルバムに放り込むだけ…。

これだけで、安心して紙のほうは捨てられるのです。

「アルバムに入れるだけで、後で探せるの?」と思われるかもしれません。

実は、最近の写真アプリ(例えばGoogleフォトなど)は、わざわざタグ付けしなくても、写真の中の「文字」で検索できる機能が備わっているんですよね。

後から「持ち物」と検索すれば、プリントの写真がちゃんと出てくる。これに気づいた時、面倒なタグ付け作業から解放されて、本当に心が軽くなりました。

[参考] Google フォト ヘルプ「Google フォトで検索する」

本当に紙で残すのは、年間予定表など、ごく一部。

それだけを、一つのクリアファイルにまとめて入れています。分類すら、もうやめました。

ステップ3:夫への「期待」を手放す

この仕組みを回す上で、最後まで残ったイライラが「夫の非協力」でした。

X(旧Twitter)を見ていると「夫がプリントを見ないで何度も聞いてくる」「運動会当日にプログラムがないと騒ぐ」といった、私と同じようなワンオペの叫びをよく見かけます。

まさに我が家も、以前の運動会でプログラムのありかを把握しておらず、当日に「持ってないの?」と聞かれて以来、不信感が募っていたものでした。

私がここまでやっても、夫はプリントの存在すら知らない…。

このイライラも「夫にちゃんと管理してほしい」という私の「完璧主義」の一種だったのかもしれません。

そこで、夫への期待も手放すことにしました。

管理は私が引き受ける。その代わり、夫から聞かれた時に「すぐ答えられる」仕組みだけ作りました。

冷蔵庫の小さなホワイトボードに、直近の予定(「〇日 遠足」「〇日 個人懇談」)だけを書く。

夫から「体育館の地図は?」などと聞かれたら、もうイライラしない。黙って、スマホで撮った写真をLINEで送る。これだけです。

私がイライラしなくなったことで、夫も以前よりは予定を気にするようになったような…気がします。

「スッキリした」部屋で、ようやく見つけた自分の時間

テーブルの上がきれいになった。物理的にスッキリしたことも、もちろん嬉しいのです。

でも、それ以上に変わったのは、私の気持ち。あれほど私を苦しめていた「また今日もできなかった」という自己嫌悪を感じることが、ほとんどなくなりました。

「全部、私が、完璧にやらなきゃ…」

その重い呪いから、ようやく解放されたのです。

  • 完璧を諦めて、自分にできる「仕組み」を作る。
  • 後回しにしても、罪悪感を持たないルールを決める。

プリントの山を眺めるたびに感じていたあの息苦しさが消え、今はそのテーブルで、穏やかにコーヒーを飲む時間が持てるようになりました。

心が楽になるというのは、こういうことを言うのかもしれません。