リビングに散らかる小物の「置きっぱなし」問題と、動線上に収納を置くことで仕組み化した体験談。
リビングのテーブルの上が、いつから「定位置」になったのだろう…。
パートから帰り、息つく間もなく夕飯の支度をしていると、夫が帰宅します。
そして、リビングのテーブルの上に、カバンがドサッと置かれる。
ポケットから出された鍵束と財布が、ジャラリと音を立てる。
床にだらしなく伸びたままの、充電ケーブル。
その光景が目に入るたび、心の奥がチリチリと焦げるような感覚に襲われるものでした。
私が鬼になる瞬間。テーブルの上の「置きっぱなし」が消えた日
以前の私は、その「置きっぱなし」を見るたびに、小さな怒りを蓄積させていました。
「どうして、私だけが片付けないといけないの?」
子供2人のお世話と家事に追われ、自分の時間はまったくない。それなのに、なぜ夫の私物まで私が管理しなければならないのか?
一度、夫が「車の鍵がない」と騒ぎ出したことがありました。
私が「知らない」と答えると、「お前が昨日、俺のリュックに入れたのが悪い」と一方的にキレられたのです。結局、鍵は夫自身が首から下げていた別のカバンから出てきました…。
自転車の鍵をつけっぱなしにして盗難されそうになった時もそうでした。自分の不注意が原因なのに、私に対して「なんで注意しなかったんだ」と怒りをぶつける。
あの時の、理不尽な非難と恐怖。
それ以来、テーブルに放置された鍵束を見るのが、余計に怖くなりました。また無くされて、私のせいにされるかもしれない…。
そう思うと、イライラが一周して、無力感に襲われるのです。
かといって、私は「片付けてよ」とハッキリ言えるタイプではありません。
夫は家事に非協力的で、機嫌を損ねるのが怖かった。だから、私が黙って片付けるしかない。
夫の放置癖は、リビングの景観だけでなく、私の心まで荒らしていくようでした。
「相手」ではなく「仕組み」を変える
きっかけは、少し前に試した夫の「服の脱ぎっぱなし」対策でした。
あんなに頑固だった脱ぎっぱなしが、ただカゴを置いただけであっさり解決した、あの体験。あの時、私は初めて「相手を変えようとする」以外の方法があることを知ったのです。
私がイライラするのは、夫が「片付けない」から。でも、夫からすれば「どこに片付ければいいか分からない」あるいは「そこが一番置きやすい」だけなのかもしれない。
私が求めていたのは、夫に「片付けさせる」ことではなく、ただ「テーブルの上がスッキリしている」状態でした。
そこで私が参考にしたのが「無理やり行動を変えさせるのではなく、そっと後押しする」という考え方。
これは「ナッジ理論」とも呼ばれるもので、厚生労働省が健康づくりのために紹介したり、環境省が省エネ行動のために活用したりしている、信頼性の高いアプローチです。
[参考]厚生労働省 e-ヘルスネット「ナッジとは」
[参考]日本版ナッジ・ユニット(BEST)について | 地球環境・国際環境協力 | 環境省
相手に「片付けて」と指示して強制するのではなく、相手が「つい、そちらを選んでしまう」ような環境をデザインする。
そして、「一時置き場」という考え方。
「片付けなければ!」というプレッシャーから解放される「ここに置いていいですよ」という自由なスペースを作る。
これだ!と思いました。
夫に「片付けて」とお願いして機嫌を伺うのではなく、夫が無意識に置いてしまう動線上に「見ればわかる」置き場所を作ればいい。
我が家の「とりあえずボックス」の作り方
私がやったことは、とてもシンプルです。
1.ボックスを用意する
まず、リビングのインテリアを邪魔しない、シンプルな箱をひとつ用意。
我が家では、無印良品の「ポリプロピレンファイルボックス」や、ニトリの「Nインボックス」のような、フタのない四角いボックスを参考にしました。
大切なのは、中身が見えすぎず、かといって隠しすぎない、適度な「放り込みやすさ」でした。
2.設置場所は「動線」一択
そのボックスを、夫がいつもカバンを置いていたテーブルの、すぐ脇の床に置きました。
玄関からリビングに入り、定位置であるソファに向かう、その通り道です。
ここなら、カバンをテーブルに置く流れで、自然とボックスが目に入るはずでした。
3.「充電ステーション」も兼ねる
次に、床に散らばっていた充電ケーブルの問題です。
これは、電源タップごとボックスの中に入れてしまいました。
ボックスの隅に小さな穴を開け(あるいは元々ケーブル用の穴が空いているタイプを選び)そこから壁のコンセントに繋ぎます。
まるで、ドアノブを見れば「回す」と分かるように「ここにケーブルがあるから、スマホを差し込む」という流れが、自然に生まれたわけです。
これで、充電器も鍵も財布も、すべてこの「とりあえずボックス」が住所になったのです。
「片付けて」と言わなかった日
最初の数日は、私が夫の小物を拾って、そのボックスに入れていました。夫は特に何も言いません。
「やっぱり、気づかないかな…」「結局、私がやるしかないのか…」
そんな諦めが半分。でも、もう半分は「仕組みを作ったんだから」という妙な自信がありました。
そして設置から5日ほど経った夜。
帰宅した夫が、いつものようにテーブルの脇を通り過ぎ……カバンをソファに置き、ごく自然な動作で、鍵束と財布を、その「とりあえずボックス」に放り込んだのです。
充電するスマホも、当たり前のようにそのボックスに差し込んでいました。
私は、何も言っていません。「ここに置いて」とも「片付けて」とも、一言もお願いしていないのです。
それは、あの時調べた「動線上に定位置を作れば、何も言わなくても使われるようになる」という、誰かの成功例そのものの光景でした。
テーブルが片付くと、心が片付いた
あの日から、リビングのテーブルに夫の私物が放置されることは、ほぼなくなりました。
もちろん、時々はみ出すこともあります。でも、その時は私が黙ってボックスに戻すだけ。
以前のように「どうして私だけが!」とイライラすることはありません。だって、そこが「モノの住所」だと、家族(私)が知っているから。
テーブルの上がスッキリしたこと。それはもちろん嬉しいことでした。
でも、それ以上に嬉しかったのは、夫の行動にイライラしなくなった、私自身の心の変化だったのです。
「置きっぱなし」という事実ではなく「私だけが損をしている」という不公平感が、私を苦しめていたんだと気づきました。
仕組みが整うと、モノを探す時間が減り、夫婦間の小さな衝突が確実に減る。
「片付けて」と相手に期待し、変わらないことに絶望する毎日から「そっと後押しする」仕組みが私を解放してくれたわけです。
テーブルの上がスッキリしたことで、モノを探す時間が減り、夫婦間の小さな衝突がなくなる。
リビングのテーブルに生まれた「余白」は、ただの空間ではなく、私の「思考の軽さ」そのものになったような気がします。
こんなにも心に余裕が生まれる。それは私にとって、本当に大きな発見だったのです。