使い切れなかった乾物(ひじき・切り干し大根・春雨)を「戻さない」調理法で活用し、罪悪感を手放した体験記。
キッチンの吊戸棚の一番上。そこは、私にとって少し開けづらい場所でした。
手を伸ばさないと届かないその奥には、いつか「ちゃんと料理しよう」と思って買った、色とりどりの乾物の袋が眠っています。
目に入るたび、小さなトゲが刺さるような、ちくりとした痛みを感じるものでした。
「ちゃんと使えない私」の呪い。面倒な乾物が「味方」に変わった日
パートから帰り、保育園に寄って、息つく間もなく夕食の準備に取り掛かる。夫は今日も帰りが遅い。シンクに溜まった洗い物を見て、深いため息が漏れます。
そんな時、ふと目に入るのが、あの吊戸棚の乾物たち。
ひじき、切り干し大根、高野豆腐、春雨……。
体に良いことは分かっている。使えば食卓が豊かになることも知っている。
でも、それを使うためには「水で戻す」という、あの工程が必要でした。
たったそれだけのこと。ほんの10分、水に浸けておくだけ。
それが、なぜか私にはとてつもなく高いハードルだったのです。
バタバタしている夕方に、その「10分待つ」余裕がない。…というより、その「10分後に使う」ことを覚えていられる自信がない。
結局「今日は時間がないから」と、もっと簡単な(そして栄養価は高くないかもしれない)食材に手が伸びる。そして、棚の奥の乾物は、また「いつか」の出番を待つことになるのです。
たまに意を決して棚卸しをすると、出てくるのは期限切れ間近の乾物の袋。「わーん、期限切れた」と心の中で叫びながら、その現実から目をそらす。
夫に「またこれ使ってない」と指摘でもされようものなら「確かに私が悪いけど、落ち込む」しかありません。
開封した袋の口をちゃんと閉じられていなくて、湿気でカビさせてしまったことも一度や二度ではありません。
- 「もったいない」
- 「ちゃんと管理できない」
- 「乾物すらまともに使いこなせない」
その罪悪感が、私を「ちゃんと料理できない私」という呪いのように縛り付けていたような気がします。
きっかけは「もう、どうにでもなれ」という諦め
その日も、私は疲れ果てていました。
冷蔵庫には主菜になるものしかない。でも、子供たちには何か汁物くらいは出したい。
もう一度、吊戸棚を見上げます。そこにあるのは、切り干し大根の袋。「あぁ、でも、戻す時間が……」
イライラが募る中で、ふと、ある種の諦めがやってきました。
「もう、いいや。戻さずに、そのまま入れてしまおう」
ほとんどヤケクソのような気持ちで、切り干し大根を袋からひとつかみ取り、さっと水で洗って、煮立ち始めた味噌汁の鍋に放り込みました。どうせ美味しくならないだろう…と。
ところが、数分後に味見をして、私は驚くことになりました。
切り干し大根が、お湯を吸ってふっくらしている。それだけじゃない。大根の甘い香りと、凝縮された「だし」が味噌汁に溶け出して、いつもよりずっと深みのある味になっていたのです。
「え、戻さなくて、いいの?」
それは、私にとって小さな、でも決定的な発見の瞬間でした。
私を解放した「戻さない」という選択肢
あの日以来、私は「乾物は水で戻すもの」という思い込みを捨てることにしました。
そこから、私の乾物との付き合い方は劇的に変わっていったのです。
1. 切り干し大根:「だし」として使う(所要時間:1分)
あの日以来、我が家の味噌汁には切り干し大根が頻繁に登場します。
本当に、さっと洗って鍋に入れるだけ。包丁もまな板も要らない。野菜を切る手間すらないのです。
- 味噌汁・スープに:洗ってそのまま加える。大根の旨味が加わります。
- 煮物に:これも「戻さず調理」。鍋に切り干し大根を入れ、ひたひたの調味液(だし汁、醤油、みりんなど)を加えて火にかけるだけ。
煮汁で戻しながら味を含ませるイメージです。水で戻すより味がぼやけず、むしろ栄養も甘みも逃げない気がします。
2. 春雨:「かさ増し」と「時短」のエース(所要時間:0分)
春雨も「戻さない」代表格でした。
これまでは、スープに入れるにも一度別で茹でるか、お湯で戻すかしていました。でも、今は違います。
- スープ・味噌汁に:乾燥したまま、鍋に直接投入。スープの水分で勝手に戻ってくれます。
- 煮物に:これも同じ。麻婆春雨なども、フライパンに直接入れて煮汁で戻します。その方が春雨が旨味を吸って美味しく仕上がります。
- スープジャー弁当に:子供ではなく、たまにある私のパート弁当ですが、スープジャーに乾燥春雨とスープの素、乾燥わかめなどを入れ、熱湯を注ぐだけ。これが、驚くほど腹持ちが良いのです。
ただ、最初の頃はよく失敗もしました。春雨は思った以上に水分を吸うので、欲張って多く入れすぎると、スープが全部なくなって「かたまり」になってしまうのです。
今では、入れる量をお湯に対して少なめにするか、逆にお湯を多めに入れることで、ちょうど良い加減を見つけられるようになりました。
3. ひじき:唯一「戻す」理由があった食材
調子に乗った私は、ひじきも「戻さず」煮物にしてみました。……結果は、少しえぐみというか、磯臭さが残ってしまいました。
調べてみると、ひじきには無機ヒ素が含まれる懸念があり、水戻しや「茹でこぼし」をすることで、それを9割ほど減らせるという情報を知りました。
[参考]食品に含まれるヒ素の健康への影響について教えてください。:農林水産省
「戻さない」は万能ではなかった。でも、その「失敗」と「正しい知識」が、私をさらに自由にしました。
ひじきは「安全のために、ひと手間かける」食材。
そう割り切ることで、他の乾物(切り干し大根や春雨)の「戻さない」手軽さが、より際立って感じられるようになったのです。
今では、ひじきは時間のある時にまとめて茹でて下処理し、小分けに冷凍しています。そう、あの「作り置き」です。
あれほど面倒で「ちゃんとできない」と思っていた作り置きも、乾物という「切ってある」食材のおげで、ハードルがぐっと下がりました。
例えば、週末にまとめて作ったひじき煮は、翌日には炊き込みご飯の具にしたり、豆腐と混ぜてハンバーグのかさ増しにしたり。
同じ「ひじき煮」でも、少しアレンジするだけで子供たちも飽きずに食べてくれる。
この「リメイク」という考え方も、私の気持ちを楽にしてくれました。
「使い切る」自信が、買い物の迷いを消してくれた
乾物のハードルが下がると、キッチンの風景も変わりました。
以前は、スーパーで「大袋の方がコスパは良いけど、使い切る自信がない」と買うのをためらっていました。でも、今は違います。
「この量でも、味噌汁やスープに毎回使えばすぐになくなる」そう思えるから、迷わず手に取れる。
もちろん、あの「カビさせた失敗」を繰り返さないよう、開封したらすぐに密閉容器に移すか、それが面倒ならパッケージごとジップロックに入れるようにしています。乾燥剤も一緒に入れて、一番よく使う引き出しに入れています。
吊戸棚の奥にしまい込むのではなく、一番取り出しやすい手前のカゴに入れる。使う。なくなる。買い足す。
あの「ローリングストック」という言葉が、私にも実践できるとは思いませんでした。
「いつか」ではなく「今日」使う。私が見つけた小さな解放
- 「乾物は水で戻すもの」
- 「料理はちゃんと手順を踏むもの」
そんな無意識の思い込みが、私自身を「ちゃんとできない」と責める原因になっていたのかもしれません。
乾物を「戻さない」と決めたこと。それは、私にとって「ちゃんとした料理」の呪いを解く、小さな儀式のようなものでした。
今も、パートと育児に追われる毎日は変わりません。夫の帰りが早いわけでもありません。
でも、キッチンの吊戸棚を開けるときの、あのちりちりとした罪悪感は、もうありません。
そこにあるのは「いつか使う」食材ではなく「今日、私を助けてくれる」心強い味方です。
水戻しという「待つ」時間を手放したことで、私は心の余裕という、もっと大切なものを手に入れたような気がします。
棚の奥で眠っていた乾物が、私を縛る罪悪感の象徴から、私を自由にしてくれるお守りに変わった。
それは、大げさかもしれませんが、日々の家事に追われる私にとって、本当に大きな、肩の力が抜けるような解放だったのです。