市販品(レトルト丼、パスタソース)に頼る罪悪感を軽減するための、栄養面での具体的な製品選択基準についての体験記。
スーパーの棚の前で、レトルトパウチを一つ手に取り、カゴに入れる。そして、すぐにまた棚に戻す。
そんな不毛な動きを繰り返してしまうことが、よくありました。
カゴの中に入れた商品が、まるで自分の「母親失格」の証拠のように思えて、胸がズキリと痛むのです。
パートと育児に追われる毎日。キッチンに立つ気力すら残っていない夜に、この「罪悪感」という見えない重りが、私の足をさらに重くさせるのでした。
「ちゃんとした食事」の呪いに縛られ、立ち尽くしていた日
パートのシフトが終わり、保育園に子供二人を迎えに行き、自転車を漕いで帰宅する。玄関に倒れ込むように荷物を置いた瞬間、下の子が「おなかすいたー」と泣き始めます。
夫は、今日も帰りが遅い。キッチンに立つものの、もう気力も体力もゼロ。
そんな時、わらにもすがる思いで立ち寄ったスーパーのレトルトコーナーが、私にとっては第一の関門でした。
ずらりと並んだレトルト丼の具や、パスタソース。母親だから毎食ちゃんとした食事をさせないと…。
誰に言われたわけでもないのに、無意識に自分を縛り付けていたその言葉が、頭の中で響きます。
安いレトルト丼の具は、確かに安いけれど、具がほとんど入っていない。
かといって「具だくさん」と書かれたものは、値段が倍近くする。
パスタソースの裏の原材料名を見れば、カタカナの添加物がずらり。塩分も高い気がする。
「どれを選べばいいの?」「どれが一番マシなの?」
結局、その場で何も選ぶことができず、お惣菜コーナーの値引きされたコロッケをカゴに入れ、家に帰ってから自己嫌悪に陥る。
…そんなことの繰り返しだったのです。
「完璧」を捨てたら見えてきた、「罪悪感が減る」選択
でもある日。本当に疲れ果ててソファに沈み込んだ私の足元で、下の子が「おなかすいたー」と泣き始めました。
キッチンに立つ気力はゼロ。でも、棚にあるレトルトを手に取る手は、罪悪感で動かない。
その時、プツンと何かが切れたように思考停止。もう、頭の中がぐちゃぐちゃになって何も考えられなくなりました…。
「完璧な栄養」なんて、今の私には無理だ…。
自炊ができない日に、せめて「マシ」なものを選ぼうと悩んでいる。その時点で、もう十分じゃないか…。
そう開き直ってから、私は「完璧な栄養」を目指すのをやめました。
代わりに、「これなら罪悪感が少し減る」という、自分なりの選択基準を持つことにしたのです。
基準1:「何が入っていないか」より「何が入っているか」
以前は、パスタソースの裏の添加物リストを睨みつけては、よく分からないカタカナの羅列に怯えていました。でも、それをやめました。
それよりも、パッケージの表を見て「何が入っているか」を重視するようになったのです。
- タンパク質(肉や魚)がしっかり入っているか
- 野菜(玉ねぎ、にんじん、トマトなど)が溶け込んでいるか
- ベースとして「アレンジ(ちょい足し)」ができそうか
もちろん、理想は「ちょい足し」で冷凍野菜やサラダチキンを加えることなのでしょう。
でも、私にはその「ちょい足し」すら、しんどい日がある。
だから、ベースとなるレトルト自体に、少しでも具材が入っているものを選ぶ。
例えば、トマトソースなら冷凍コーンやツナを足すだけで「万能ソース」として使えるか、といった視点です。
具体的なアレンジ方法は、こちらの記事【パート主婦の体験記】「もう何も作りたくない…」夕飯がしんどい私が、レトルトアレンジで心を取り戻した話でも紹介しています。
それだけで「野菜ゼロ、タンパク質ゼロ」という最悪の事態は避けられるわけです。
基準2:添加物より「塩分」を気にする
子供に食べさせることを考えると、添加物よりも、まず気になるのが「塩分」でした。
添加物の安全性は専門家でも意見が分かれることが多く、私には判断できません。
この点については、例えば食品安全委員会や消費者庁のような公的機関のサイトで「リスク評価」の仕組みを調べてみるのも一つの方法です。
でも、塩分は「栄養成分表示」を見れば、誰でも比較ができます。
いくつかの商品を手に取り、食塩相当量が0.1gでも少ないものを選ぶ。
たったそれだけのことですが「私はちゃんと子供の健康を考えて選んだ」という小さな自信につながる、大切な作業になりました。
それに、ベースの塩分が控えめなら、チーズやサラダチキンを「ちょい足し」してタンパク質を補強する「心の余裕」も生まれます。
基準3:「ベース」も「一番マシ」を選ぶ(冷凍うどんという選択)
レトルトソースを使う時、合わせる炭水化物。乾麺のパスタを茹でるお湯を沸かすのすら、面倒な日があります。
そんな時の「救世主」が、冷凍うどんでした。
冷凍うどんなら、電子レンジで加熱できます。お皿一つで完結できる手軽さもあります。
賞味期限も長く、冷凍庫にストックしておける。レトルトのカレーやパスタソースをかけてもいいし、最悪、麺つゆと卵だけでも「食事」になる。
私にとって冷凍うどんは、まさしく「ラクは手抜きじゃない」と教えてくれた、お守りのような存在です。
私が「選ぶ」という行為に、意味を見つけた日
今でも、スーパーの棚の前で悩むことはあります。
レトルト食品をカゴに入れることに、まったく罪悪感がないと言えば、嘘になります。
でも、以前と違うのは、その「悩む時間」の意味です。成分表を見比べ、少しでも「マシ」なものを探している。
この「選ぶ」という行為こそが、私が家族のために「ちゃんとしようとしている」一番の証拠なのだと、思えるようになりました。
完璧な食事からは程遠いかもしれない。でも、7割よければOK。
そう割り切って市販品を選んだ日は、その分、心に余裕が生まれます。その浮いた時間と気力で、子供たちの話をいつもより少しだけ長く聞いたり、笑顔で「おいしいね」と言ったりできる。
私にとって「市販品を選ぶ基準」を持つことは、栄養のためだけではなく、家族と笑うための時間を確保する、大切な「戦略」になったのです。