この記事は、幼少期の経験からくる「生きづらさ」の正体と向き合い、心の傷を癒すことで自分らしい穏やかな日々を取り戻した、ある母親の体験記です。
子供の寝顔を見ながら、理由もなく涙がこぼれる夜がありました。
部屋の隅で青白い光を放つ夫のスマートフォン。私が名前を呼ぶまで、彼はその小さな画面から顔を上げようとはしないのです。
パートと育児、そして繰り返されるだけの家事に追われる毎日…。
まるで心の中に、膝を抱えたままの小さな女の子がずっと座り込んでいるような感覚でした。
幸せなはずなのに、いつも何かに怯え、言いようのない不安と孤独に苛まれていたのです。
「お母さんそっくり」その言葉が、私を過去へと引き戻した日
「キーキーうるさい! 静かにして!」
ある日の夕食後、子供たちの些細なじゃれ合いが引き金となり、私の感情が爆発しました。
我を忘れて怒鳴りつけた声が、静まり返ったリビングに響き渡ります。怯えたように私を見つめる、息子の目。その瞬間、背筋が凍りつくような感覚に襲われたのを、今でもはっきりと覚えています。
私のヒステリックな怒り方は、気分で態度をころころと変えた母にそっくりでした。
母の機嫌を損ねまいと、階段を上るかすかな足音にさえ体をこわばらせた子供時代。忘れたはずの記憶が、自分の声をきっかけに、強烈な自己嫌悪となって胸に突き刺さるのです。
「私は母とは違う道を選ぶ」と固く誓ったはずなのに…。
一番嫌っていたはずの母の姿が、自分の中にこびりついている。
このままでは、私も母と同じように、愛する我が子を傷つけてしまうかもしれない。その恐怖は、まるで出口のない暗いトンネルに迷い込んだかのようでした。
この負の連鎖は、私の代で必ず断ち切らなければ。そう強く決意した出来事でした。
心の傷を癒す旅路で見つけた、私だけのお守り
このままではいけない。そう思ってから、私は自分の心の問題と向き合うことにしました。
それは決して平坦な道のりではありませんでしたが、少しずつ試したことが、固く閉ざしていた私の心をゆっくりと溶かしてくれたのです。
1. 「小さな私」の声を聴く時間
最初に試したのは、自分の心の痛みの正体を探す中で出会った小さな頃の自分(インナーチャイルド)を癒すという考え方でした。
なんだか特別なことに聞こえるかもしれませんが、私が実践したのは、とてもささやかなことです。
感情をノートに書き出す
夜、子供たちが眠った後、子供の頃に感じていた寂しさや悲しさを、思いつくままノートに書き出してみました。
特に、普段使わない左手で書くと、理屈で考えがちな頭の働きが抑えられ、素直な感情が出やすいと知って試してみたのです。
そこには「もっと甘えたかった」「話を聞いてほしかった」という、自分でも忘れていた心の声が並んでいました。
今の自分が、あの頃の自分を慰める
書き出した言葉を読み返し、今の自分が、膝を抱えて泣いている小さな自分に優しく語りかける姿を想像しました。
「よく頑張ったね」「つらかったよね」と。
最初は気恥ずかしかったのですが、続けるうちに、ずっと胸につかえていた何かが、ふっと軽くなるのを感じたのです。
この対話は、ネガティブな感情を「悪いもの」として無理に追い出すのではなく、幼い頃の自分が送ってくれている大切なメッセージなのだと捉え直すきっかけになりました。
2. 「私」を主語にする勇気
いつの間にか、夫の機嫌が私の世界の天気のようになっていました。
彼の求める「妻」や「母親」の理想像を必死で演じるあまり、私自身の気持ちはいつも後回し。これもまた、親の顔色をうかがって自分の意見を押し殺してきた、子供時代からの「考え方のクセ」だったのです。
この歪んだ関係を変えるため、境界線(バウンダリー)を引く練習を始めました。これは相手を拒絶する壁ではなく、お互いを尊重するための、健全な「心の仕切り」です。
I(私)メッセージ
「あなたが手伝ってくれないから大変」という相手を責める言い方ではなく「私は、一人で家事と育児を担うのが、とても疲れてしまった」と、自分の感情を主語にして正直に伝えるようにしました。
感情的に責めているわけではないと伝わったのか、最初は戸惑っていた夫も、少しずつ耳を傾けてくれる瞬間が増えたのは、私にとって大きな変化でした。
「ノー」と言う実践
夫からの無理な要求に対し、罪悪感を覚えながらも「今日は疲れているから、それはできない」と断る勇気を出しました。
相手の感情の責任まで、私が背負う必要はないのだと自分に言い聞かせながら。
期待を手放すこと
夫が「いつか変わってくれるはずだ」という期待を手放すのは、正直、とても苦しい作業でした。
でも、他人を変えることはできないのだと認めた時、不思議と心が楽になったのです。
3. 「世代間連鎖」という呪縛からの解放
「親のようになってしまうのではないか」という恐怖は、虐待などが世代を超えて繰り返される「世代間連鎖」への強い懸念から来ていました。
無意識のうちに親の行動をなぞってしまう自分に、絶望しかけたこともあります。
それでも、自分の子供時代を振り返り、なぜ自分がこれほど生きづらさを感じていたのかを理解する作業は、未来へ進むためにどうしても必要でした。
それは、絡まった糸を一本一本ほどいていくような、根気のいる時間です。
過去の「意味」を、自分で変える
「親に愛されなかったから、自分はダメなんだ」という長年の思い込み。
これを「あんなに不安定な環境で、よくここまで生き抜いてきた」と、自分の捉え方を変えてみることにしました。
過去の出来事は変えられませんが、その出来事が持つ意味は、今の自分の視点で変えることができる。この発見は、大きな救いとなりました。
できていることに、目を向ける
子供に対して感情的になりそうな時、ぐっとこらえ、一度息をすべて吐ききってから話し始めるようにしました。
これだけで呼吸が整い、続く言葉が驚くほど落ち着いたトーンになるのです。そして、子供のできていない部分ではなく、できている部分を具体的に褒めるように心がけました。
肯定的な言葉をかけると、子供たちの表情がパッと明るくなり、私の心まで温かくなるのを感じます。
親から受け継いだ価値観が全てではない。自分の手で新しい親子関係を築いていける。
そう信じられるようになったのは、こうした小さな成功体験の積み重ねのおかげでした。
雨上がりの空に、虹を探すように
今でも、昔のクセがふと顔を出すことがあります。
夫の些細な言動に深く傷ついたり、子供に対して感情的になりかけたり。
心の傷を癒すというのは、一度で完了する魔法ではなく、きっと生涯をかけて続けていく、自分との静かな対話のだと感じています。
ただ、以前とは決定的に違うことがあります。
それは、心の中に、いつでも帰ってこられる「安全な場所」ができたこと。もう、理由の分からない孤独に押しつぶされて、一人で涙を流す夜はありません。
先日、息子が公園で転んで、膝から血を流しました。
以前の私なら「だから危ないって言ったでしょ!」と、不安からくる怒りをぶつけていたかもしれません。
でもその時、私は駆け寄って、何も言わずに息子を抱きしめました。「痛かったね。怖かったね」。私の腕の中で、息子は顔をうずめ、しゃくりあげながらも、やがて静かに泣き止みました。
その小さな背中をさすっている時、私は、ようやく母からの「呪縛」から自由になれたような気がしたのです。
子供の気持ちに、ただ寄り添う。当たり前のようで、私にとってはとても大きな一歩でした。
私の代で、あの悲しい連鎖は断ち切れたのかもしれない。
かつて母の機嫌という曇り空の下で怯えていた小さな私に、今の私が教えてあげたい。「大丈夫、あなたの娘は、雨上がりの虹を素直に喜べる子に育っているよ」…と。
その答えを出すのは、きっと私ではなく、この子たちが大人になった時なのでしょう。
今はただ、雨上がりの空に虹を探すように、日々の小さな幸せを、この子たちと一緒に一つひとつ、大切に拾い集めていきたい。
関連記事「〇〇ちゃんのママ」という役割の奥で消えかけていた、私自身の名前を取り戻す
独身の友達が羨ましかった私が、主婦のリスキリングで「自分の名前」を取り戻した話