母親という役割に埋もれ、自分の名前を失いかけていた主婦が、リスキリングを通じて再び自分らしさを見つけ、新たな一歩を踏み出すまでの体験記です。
部屋の隅で、すっかりホコリをかぶったアコースティックギター。
独身の頃、なけなしのお給料を貯めて手に入れた宝物だったはずのそれ。
Fのコードがうまく押さえられなくて涙ぐんだ夜も、仲間と笑い合った文化祭のステージも、全部あのギターが覚えていました。
けれど、今の私には、弦を張り替える気力すら湧いてこない。そんな毎日を送っていたのです。
「誰かのママ」でしかなかった私に、再び名前がついた日
「〇〇ちゃんのママ」。
いつからか、私はそう呼ばれることが当たり前になっていました。
スーパーでも、公園でも、保育園の送り迎えでも。母親であることに誇りがないわけではないのです。
ただ、ふと店の窓に映る自分を見たとき「私って、どんな人間だったっけ?」と、心に冷たい風が吹き抜けるような感覚がありました。
夫の姓と「ママ」という役割だけが残り、私の名前が薄いインクのように滲んで消えていく…。
そんな感覚さえあったのです。
SNSを開けば、独身の友人たちのきらびやかな日常が目に飛び込んできます。
海外旅行、昇進の報告、お洒落なレストランでのディナー。
その頃の私の世界は、子供がこぼしたジュースのベタつきと、畳んでも終わらない洗濯物の匂いで満たされていました。
夫は家事育児に協力的とは言えず、パート先の人間関係にも気を遣う毎日。
産後から続く不安定な心は、息をするたびに、薄いガラスの壁が自分と社会の間にできていくような静かな息苦しさを感じていたような気がします。
私という個人の存在が、母親という役割の奥に透けて、消えてしまいそうでした。
心の霧を晴らしたのは、ノートの片隅にあった本音
その感情の正体も分からないまま、漠然とした不安を抱えていたある日、本棚の奥から大学時代に使っていたノートを見つけました。
何気なくページをめくると、そこにあったのは、誰に見せるでもない、とりとめのない感情の数々。
嬉しかったこと、腹が立ったこと、言葉にできなかった本音。
それだ!と思ったのです。
今の私に足りないのは、自分の気持ちと静かに向き合う時間なのかもしれない。
その日から、子供が寝静まった後の15分間を、自分だけのために使うと決めました。
特別なことは何もしません。ただ、頭に浮かんだことをひたすらノートに書き出すだけ。
それは、心に溜まっていた澱(おり)のような感情を、ノートの上にそっと吐き出していく感覚でした。
書くことで、自分が何に焦り、何に傷つき、そして本当はどうしたいのかが、少しずつ輪郭を現してきたわけです。
「自分らしい生き方」を探すための、小さな一歩
ノートに書き出した私の本音は「もう一度、何かに夢中になりたい」「自分の力で、少しでもいいから稼いでみたい」という、ささやかな、けれど切実な願いでした。
それは、かつてギターの練習に没頭した、あの感覚を取り戻したいという心の叫びだったのかもしれません。
そこで思い切って、夫に打ち明けてみることにしました。
「2年間だけ、時間をください。もしパート代と同じだけも稼げなかったら、その時はスパッと諦めるから。でも、試すこともしないで後悔したくないの。自分の力で稼げるのか、試してみたい。」
私の真剣な眼差しに何かを感じたのか、夫は驚きながらも頷いてくれました。
これが、私の「リスキリング」、つまり新しいスキルを身につけるための学び直しへの第一歩となったのです。
ハローワークで見つけた「母親のため」の学びの場
まず向かったのは、ハローワークにある「マザーズハローワーク事業」という相談窓口でした。
そこで知ったのが、「ハロートレーニング」という公的な職業訓練制度。
働くお母さんのための心強い制度で、公式サイトを見た時は少しだけ希望が湧いたのを覚えています。
Webデザインやプログラミングなど、在宅ワークに繋がりやすいスキルを無料で学べるコースがあるというのです。
しかも、訓練期間中は託児サービスを利用できる場合もある。子供を預けて学びに集中できる環境は、当時の私にとって何よりの救いでした。
もう一つの選択肢、オンラインスクール
公的職業訓練と並行して情報収集を進めるうちに、オンラインスクールという選択肢にも出会いました。
通学の必要がなく、自分のペースで学習を進められるスタイルは、家事や育児でまとまった時間が取れない私にピッタリだったのです。
公的職業訓練(ハロートレーニング)
- 良い点:受講料が無料(教材費は自己負担)、託児サービスが利用できる場合がある。
- 気になる点:開講時期や定員が限られる、内容は基礎的なものが多い。
オンラインスクール
- 良い点:いつでもどこでも学習できる、より実践的なスキルが身につく、質問できるサポート体制がある。
- 気になる点:費用がかかる、自分で学習計画を立てる必要がある。
私は、まず基礎を固めるために職業訓練に通い、さらに専門的なスキルを身につけるためにオンラインスクールを併用することに決めました。
朝、子供を送り出した後の数時間と、子供が寝た後の静かな時間。
限られた時間をパズルのように組み合わせ、必死で学習に食らいついていきました。
自信を育ててくれた、ささやかな成功体験
もちろん、簡単な道のりではありませんでした。
初めて聞く専門用語に戸惑い、課題の締切に追われて夜を明かした日もあります。
けれど、自分で作ったデザインが初めて形になった時、書いた文章が誰かに「分かりやすい」と褒められた時。
そんな小さな成功体験を一つひとつ積み重ねるうちに、いつしか忘れていた「達成感」という感情が、心の奥からじんわりと湧き上がってくるのを感じました。
「私にも、できることがあるんだ…」と。
それは、母親という役割だけではない、私自身の価値を一つずつ拾い集めていくような作業でもあったのです。
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ホコリをかぶったギターと、私だけのメロディー
学び直しを始めて1年が過ぎた頃、私は在宅でWebライターとしての仕事を少しずつ受けられるようになっていました。
それは、扶養内パートのお給料にはまだ及ばない、本当にささやかな収入です。
けれど、その変化は通帳の数字以上に、私の毎日を少しずつ彩り豊かなものに変えてくれました。
自分のスキルで誰かの役に立てているという確かな手応え。
夫も、私が夢中になる姿を見てか、家事や育児を「手伝う」のではなく「一緒にやる」という意識に変わってくれたような気がします。
何より、心に余裕が生まれたことで、子供たちのささいなワガママにも、以前よりずっと穏やかな気持ちで向き合えるようになりました。
今でも、私は「〇〇ちゃんのママ」と呼ばれます。
でも、もうその言葉に寂しさを感じることはありません。
それは、数ある私の一つの側面に過ぎない、と思えるようになったからです。「母親である自分」も「仕事をする自分」も、全部含めて、今の私なのだと。
先日、久しぶりに部屋の隅のギターを手に取ってみました。
弦は錆びつき、音程もずれています。
それでも、ポロン、と鳴らした音は、不思議と温かく、優しい響きがしました。まだFのコードはうまく押さえられないけれど、いつか、私だけのメロディーを奏でられる日が来る。そんな予感がしています。