床のベタベタ掃除を「完璧な雑巾がけ」から解放し、「スプレーと使い捨てウエス」で罪悪感なく習慣化できた体験談です。
掃除機をかけた後なのに、裸足で歩くと感じる、あのベタつき。
特にキッチンの床や、子供が食事をした後のダイニングテーブルの下。
スリッパを履かなければ、足の裏に何かが張り付くような、あの不快感。
それを「見て見ぬふり」してしまう自分への、小さな、けれど確実な罪悪感がずっとありました。
あの絶望から、裸足で歩ける床を取り戻すまで
以前の私は、掃除機さえかければ床掃除は終わり。そう思っていた時期もありました。
ホコリや髪の毛といった「ザラリとした感触」には、それで十分だったのです。
でも、子供が生まれ、食べこぼしや飲みこぼしが増えるにつれて、床は新しい敵「ベタベタ感」に支配されるようになりました。
それは、掃除機ではどうにもならない汚れ。
牛乳の乾いた跡、ソースのシミ、キッチンで跳ねた油。
私の頭の中には「床の水拭き=膝をついて雑巾がけする重労働」という、古い呪いのようなものがこびりついていました。
バケツに水を汲み、雑巾を固く絞り、四つん這いになって床を磨き上げる。
それが「正しい掃除」だと信じていたのです。
でも、パートと育児に追われる毎日で、そんな重労働をする気力も時間もありません。
夫は手伝ってくれない…。疲弊しきった体で、床のベタつきを見つけるたびに、心が重くなるばかりでした。
もちろん、市販のウエットシートも試しました。
ただ、あれは私にとって「中途半端さ」の象徴のようなものでした。
SNSで「ウェットシートじゃラチがあかない」という投稿を見かけるたびに「私だけじゃない」と胸をなでおろしつつ、現実は何も変わらない。
すぐに乾いてしまうし、力を入れて拭こうとするとワイパーから外れる。汚れが取れるどころか、ベタベタが薄く広がるだけで、拭き終わった後もスッキリしないのです。
「やらなきゃ」という焦りと「できない」という現実。
床のベタベタは、まるで私の心の余裕のなさを映し出しているようでした。
「完璧な白さ」より「今日の快適さ」を選んだ日
転機は、ふとした瞬間に訪れました。
それは、掃除機の紙パックを交換していた時のこと。
「ああ、やっぱり『捨てる』って楽だ」と、心の底から思ったのです。
その時、気づきました。
私が雑巾がけをあれほどまでに面倒だと感じていた最大の理由は、汚れた雑巾を「洗い、乾かす」という、最後のひと手間だったのです。
以前の記事「雑巾を洗うストレス。もう、やめた。」でも書いたのですが、まさにあの作業こそが、私の「床掃除=重労働」という呪いの正体だったわけです。
雑巾を「洗う」から「捨てる」へ。
もし、掃除機の紙パックのように、床を拭いた雑巾も、そのまま捨てられたら?
その瞬間「完璧主義の呪い」が少しだけ解けたような気がしました。
目指すべきは、ピカピカに磨き上げられた「完璧な白さ」ではない。今日一日、家族が「裸足で歩ける快適さ」なのではないか…と。
そうと決れば、やることは単純でした。
私が導入した「ベタベタ撃退」の三種の神器
家にあるものと、100円ショップで揃うものです。
セスキ炭酸ソーダスプレー
水500mlにセスキ小さじ1を溶かしたものを、スプレーボトルに入れるだけ。セスキ炭酸ソーダはアルカリ性なので、油汚れや皮脂汚れに強いのです。
あと、メーカー(花王)の公式サイトでも「塩素系ハイターなどと混ざっても問題ない」と説明されており、酸性タイプの洗剤のように神経質にならなくて良いのも、心が楽になったポイントでした。
使い捨てウエス
着古したTシャツや、穴の空いた子供の肌着。これを手のひらサイズにカットして溜めておきます。
手持ちのフロアワイパー
これだけです。
「立って、拭いて、捨てる」だけ。膝をつかない床掃除
この方法にしてから、私は床掃除のために膝をつくことをやめました。
- まず、キッチンの床や食卓の下など、ベタベタが気になる場所に、セスキ炭酸ソーダスプレーを直接シュッ、シュッと吹きかけます。
- 汚れが浮き上がるまで、ほんの少し(30秒ほど)待ちます。
- フロアワイパーに、カットしておいた「使い捨てウエス」を装着。
- スプレーした場所を、サッと拭き取ります。
- ウエスが真っ黒になったら、ためらわずにワイパーから外し、そのままゴミ箱へ。
汚れがひどい時は、ウエスを交換してもう一度拭くだけ。
たったこれだけのことでした。
「ウエットシート」との決定的な違い
以前使っていたウエットシートと何が違うのか?
それは「汚れを落とす力」と「罪悪感のなさ」でした。
洗浄力の違い
ウエットシートの水分では太刀打ちできなかった油汚れや食べこぼしも、セスキ水がしっかり浮かせてくれます。
拭き取る力
すぐ乾くシートと違い、ウエス(古着)は吸水性も吸着力も抜群。
汚れを「広げる」のではなく、しっかり「絡め取る」感覚です。
心理的なハードルの低さ
何より、汚れた雑巾を洗う手間がないこと。
これは、介護現場などで清掃効率を上げるために「拭きやすい素材」を選び、心の負担を減らす工夫にも通じるものがある、そう感じています。
ウエスを捨てることは「汚れを見て見ぬふりした罪悪感」も一緒に捨てているような、不思議なスッキリ感があるのです。
床がサラサラだと、心も軽くなる
もちろん、今でも「完璧な水拭き」を諦めたわけではありません。
時間と心に余裕がある日や、夫が子供たちを公園に連れ出してくれた週末。そういう特別な日には、昔ながらの雑巾がけをすることもあります。
でも、毎日の目標は「ベタベタゼロ」に変わりました。
- キッチンに立ったついでに、床の油跳ねにスプレーして拭いて、捨てる。
- 子供がジュースをこぼしたら、怒る前にスプレーして拭いて、捨てる。
それが「重労働」ではなく「ついで作業」になった時、私は「床掃除ができない」という罪悪感から解放されたのです。
裸足で歩ける床は、やっぱり気持ちがいいものです。
床に寝転がって遊ぶ子供たちを、以前よりずっと穏やかな気持ちで見られるようになりました。
床の不快感がひとつ消えただけで、心のトゲトゲも少し減ったような気がする。
あの「やらなきゃ」という強迫観念から解放された今、そう感じています。